東海道赤坂宿 | 旅籠・大橋屋と広重のソテツで有名な宿場
天然記念物に指定されている東海道御油宿の松並木を抜け、目指すは36番目の宿場・赤坂宿です。
御油の松並木を抜け、赤坂宿へと入りました。写真は東見附跡(ひがしみつけあと)。
見附(みつけ)とは、宿場の入り口に石垣などを積み、出入りする人達を監視した場所のこと。つまり宿場の出入り口の監視所みたいなものですね。
舞坂宿(静岡県浜松市)には、見附の石垣も残っています。
赤坂宿の東見附は、寛政八年(1796)、代官・辻甚太郎の時、関川神社の前に移築したという記録が残っています。明治七年(1874)に取り壊されました。
その関川神社は東見附跡から約250mほど後ろにあります。推定樹齢800年といわれる樟(くすのき)が残っています。
街道を歩いていると発見したうなぎ屋。うなぎがうなぎを焼いてる…
現在の東海道・赤坂宿の町並みです。
しばらく歩いていると、開けた場所に出ました。ここは信号・赤坂紅里の角にある赤坂宿公園。
この周辺には東海道・赤坂宿の見どころがギュッと詰まっているので要チェックです。
本陣跡。本陣とは宿場で一番格式が高い宿泊施設で、一般客が宿泊する旅籠とは違い、門・玄関・式台・上段の間などを備えることが許されていました。
赤坂宿の本陣は宝永八年(1711)、の町並み図によると四軒ありました。
そのうち松平彦十郎家は江戸時代初期から本陣を務め、人馬継立を行う問屋も兼ねていました。その跡地です。
高札場跡。幕府や領主が決めた法を書いた札を掲げた場所。新しい法を知る場所でもあります。
この旅籠のもともとの名前は鯉屋(こいや)。建物は文化六年(1809)に起きた赤坂宿の大火の後に建てられと考えられ、明治十一年(1878)の明治天皇の東海北陸巡幸では、行在所(あんざいしょ:旅行中の天皇の宿泊所)として利用されました。
その後、所有者は近藤家、高田家、青木家と変わり、屋号も大橋屋と改名。
なんと平成27年(2015)まで旅籠屋(旅館)として営業していましたが、閉店後、建物が豊川市に寄付され、資料館としてオープンしました。
現地案内看板にあった歌川広重 『東海道五十三次隷書 東海道赤坂』には、大きな旅籠と旅人の様子が描かれています。
この大橋屋も江戸時代、夕暮れになるとこの様な景色が広がっていたのかもしれません。
大橋屋の隣にあった脇本陣・輪違屋(わちがいや)跡地。
脇本陣とは本陣に次ぐ格式が高い宿泊施設。分かりやすく言うと、準本陣、副本陣という意味です。現在は公園になっています。
浄泉寺に残る蘇鉄(ソテツ)は、歌川広重の東海道五拾三次 赤阪・旅舎招婦ノ図(あかさか りょしゃしょうふのず)に出てくるソテツと言われています。
浮世絵に比べ、かなり枝ぶりが大きくなっていますが、もし東海道五十三次に出てくる現存のソテツなら、かなり貴重といえます。
国立国会図書館デジタルコレクションで確認することができます。
>>赤阪・旅舎招婦ノ図 | 国立国会図書館デジタルコレクション
無料休憩所・よらまいかん。
以前は館内に東海道と赤坂宿のパネル案内がたくさんありましたが、資料館となった大橋屋に移され、純粋に休憩所になっています。
郷社八幡社辺りに赤坂宿の西見附(にしみつけ)が、あったとされます。
つまりこの辺が赤坂宿の西の端ということですね。
赤坂宿を過ぎ、しばらく歩くと県道73号線の高架をくぐります。そして右に進むと、国道1号線沿いにえびせんべいとちくわの共和国があります。
ここは国道1号線のオアシスみたいな場所で、その名前の通り、えびせんべいとちくわなどを販売しているのですが、無料休憩所も完備しています。
さらにえびせんべいの試食もありますし、街道ウォークのお土産チェックもできるありがたい施設です。
東海道に戻ります。すると一里塚発見!ここも片方だけで碑のみですが、分かりやすくしてくれているので、街道ウォーカー的には助かります。
東海道沿いにある、豊川市立長沢小学校。じつはここ、江戸時代の長沢御殿(ごてん)の跡なのです。
長沢御殿とは、寛永十一年(1634)、徳川幕府三代将軍・徳川家光が上洛(京都に行くこと)する際の休憩所。
現在の豊川市立長沢小学校の敷地が、かつての長沢御殿跡なのです。
長沢御殿跡の案内看板にある元禄十二年の地図。これを見ると中央に長沢御殿がありますね。対して北側に三河守城跡とありますが、これは戦国時代の長沢城跡です。徳川将軍家の親戚である、長沢松平氏の居城でした。
また南に古城山御林と書かれている場所には、岩略寺城がありました。この辺は戦国時代、お城がたくさんあったのです。
長沢御殿跡(長沢小学校)の北側は小高い住宅地ですが、ここにかつて長沢松平氏の長沢城がありました。現在は住宅地の民家の前に石碑が建っています。
また岩略寺城(がんりゃくじじょう)は、駿河の今川氏の一族・関口氏によって築かれた城といわれています。
山城ですが、戦国時代の遺構を色濃く残した見ごたえある城跡です。
長沢城跡や岩略寺城跡に寄り道していたら、すっかり空も晴れました。
私が訪れた時期は5月上旬。もうすぐ田植えが始まるのですね。
東海道は再び国道1号線と重なります。しばらくは国道1号線を歩き、目指すは赤坂宿と藤川宿の間宿(あいのしゅく)である本宿です。
攻略ポイントと私の感想
今回のコースを歩くなら、名鉄線・名電赤塚駅で降り、名電長沢駅で再び電車に乗るのがよいでしょう。
でも個人的には赤坂宿の前の宿場、御油宿は近いので、名鉄・御油駅から名電長坂駅まで歩くというのもありですね。
さて、私の感想ですが、赤坂宿も見どころが多く楽しめる宿場と思いました。
まずは資料館となった旅籠・大橋屋。ここは2015年まで営業していた旅籠屋ということでホントにオススメです。必ずチェックしておきましょう。
あと浄泉寺のソテツも浮世絵・東海道五十三次に興味がある人は、ここも要チェック。
また城好きの人は、長沢御殿跡と長沢城。そして岩略寺城は見ごたえがあるので道草時間も含め、プランを考えておきましょう。
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