東海道知立市宿(池鯉鮒) | 馬市と知立神社で栄えた宿場

東海道知立市宿(池鯉鮒) | 馬市と知立神社で栄えた宿場

東海道知立市宿(池鯉鮒) | 馬市と知立神社で栄えた宿場

 

 

岡崎宿を離れ、東海道39番目の池鯉鮒(ちりゅう)宿へと向かいます。

 

 

しばらく国道1号線を歩いてきましたが、ラーメン横綱安城店とマクドナルドが見えてくる、尾崎東の信号から旧東海道と分かれます。

 

 

もくじ

 

 

 

 

 

 


東海道を進んでいくと松並木が再現されていますね〜

 

 

 

 

 

 

一里塚跡と鎌倉街道


安城市の市バス・あんくるバス東部線の熊野神社バス停の後ろにチェックしておきたいものが2つあります。それが江戸から83里目の一里塚跡の石碑と鎌倉街道跡の看板です。

 

 

鎌倉街道とは、鎌倉幕府が開かれた文治元年(1185)〜建久三年(1192)の頃に定められた京都〜鎌倉を結んだ街道のこと。

 

 

この周辺では安城市里町の不乗(のらす)森神社から証文山の東を通り、熊野神社に達していました。

 

 

鎌倉街道はここで右に曲がり東南方向に進んでいたので、熊野神社に残る森を踏分(ふみわけ)の森と呼んでいます。

 

 

鎌倉街道は各地に残っており、そのまま西に進むと知立市の無量寿寺の前を通り、豊田市の駒場町に至ります。

 

 

>>一里塚跡と鎌倉街道の地図

 

 

 

 

 

 

 


あんくるバス東部線・宇頭茶屋説教所バス停の後ろには、明治天皇御駐蹕之跡碑(めいじてんのう ごちゅうひつのあとひ)があります。

 

 

かつてここに本陣茶屋があり、明治天皇がご休憩されました。

 

 

またかつて近くには浄土真宗の説教所があり、その名残がバス停の残されています。

 

 

>>石碑の場所の地図

 

 

 

 

 

 

大浜街道


明治天皇の石碑を越えてすぐのところに水路とセットになった南北に伸びる道があります。

 

 

これは大浜街道といって、現在の碧南市(へきなんし)に向かっています。

 

 

大浜港で水揚げされた海産物や塩を東海道経由で海のない信州や各地に送ったのでしょう。

 

 

 

 

 


永安寺には龍雲の松という、まるで龍みたいな松があります。

 

 

延宝五年(1677)頃、大浜茶屋に助郷(すけごう)といって、街道整備のための手伝いや追加の年貢を命じられたことがありました。

 

 

しかし庄屋だった助太夫(すけだゆう)は、村の貧しさを訴え、助郷の免除を願い出たところ、死罪となってしまいます。

 

 

その後、村は助郷を免じられ、村人は助太夫に感謝し、彼の自宅があった場所に草庵を作り、それが現在の永安寺になっています。

 

 

松の樹齢は助太夫時代くらいのものだとか。

 

 

 

 

 

 

元禄時代の道標


猿渡川を渡ると知立市に入ります。そのまま来迎寺(らいこうじ)公園を越えて進むと、右側に何やら2つの石柱が!

 

 

これは在原業平(ありわらのなりひら)ゆかりの八橋無量壽寺(むりょうじゅじ)への道しるべとして元禄九年(1696)に建てられたもの。

 

 

従是四丁 半北 八橋 業平作観音有 元禄九丙子年6月吉朔日施主敬白と記されています。

 

 

実際にここを曲がって約15分くらいまっすぐ歩くと、カキツバタで有名な無量寿寺に着きます。

 

 

>>元禄時代の道標の地図

 

 

 

 

 

 

来迎寺一里塚


愛知県指定文化財の来迎寺(らいこうじ)一里塚。街道の両脇に塚が残るのは珍しいです。

 

 

高さ約4m、直径約9mで榎(えのき)ではなく松が植えられています。

 

 

>>来迎寺一里塚の地図

 

 

 

 

 

 

来迎寺と今崎城跡


この周辺の地名の由来にもなっている来迎寺は、戦国時代に今崎城がありました。

 

 

桶狭間合戦の時、今川義元の軍によって落城したということくらいしか分かっていません。

 

 

境内には今崎城跡の石碑があり、周辺には古城、足軽の字名が残っています。

 

 

 

 

 

 


来迎寺町の隣は牛田町ですが、ここにも牛田城という城がありました。この牛田城も桶狭間合戦で落城した歴史が残っています。

 

 

東海道からは少し離れていますが、現在でも石碑があります。

 

 

>>牛田城址の地図

 

 

 

 

 

 

松並木と馬市

 


頭の上を通る国道419号線を抜けると、知立市の松並木が見えてきます。

 

 

全て当時のものではなく、後年に整備されて松も含まれていますが、ここはちょっとした観光スポットでもあり、東海道ウォーカ−の間では、東海道を偲ぶ名所にもなっているんです。

 

 

江戸日本橋から八十四里十七町。約351kmです。

 

 

>>旧東海道 知立松並木の地図

 

 

 

 

 

 

 


かつてこの松並木周辺で知立宿の馬市が開かれていました。

 

 

東海道名所図合によると、知立の馬市は旧暦の4月25日〜5月5日までの10日間開催されており、談合松という所で馬の値を決めていました。(写真中央)

 

 

毎年約400〜500頭の馬が集まり、馬方、見物客、商人などで賑わったとあります。

 

 

 

 

 

 

 


明治時代には規模が縮小し、慈眼寺境内で馬市が開催されるようになりました。

 

 

その時は馬以外に牛や鯖(さば)も売られる様になり、また違う賑わいがあったようです。

 

 

昭和十九年の太平洋戦争末期頃まで続きました。

 

 

>>慈眼寺の地図

 

 

 

 

 

 

 


松並木を抜け、国道1号線を地下道で渡った先には、東海道池鯉鮒(知立)宿の石碑がありました。ここから宿場の中心地へと向かいます。

 

 

 

 

 

池鯉鮒の由来と御手洗池


慈眼寺の斜め向かいに御手洗池(みたらしいけ)跡があります。この池が池鯉鮒の名前の由来となった池です。

 

 

現在の愛知県知立(ちりゅう)市の名称は8世紀出土の木簡、および9世紀頃の文献に記されています。

 

 

その他歴史上で智立、知利布、池鯉鮒、雉鯉鮒、知里府、智鯉鮒などの記載が残っています。

 

 

この御手洗池は知立神社へ参拝する人たちが手を洗った池で、殺生禁断の池でもありました。そのためか多くの鯉(こい)や鮒(ふな)が生息しており、そこから池鯉鮒(ちりゅう)という地名になったとか。

 

 

明治時代に現在の知立に戻りましたが、私は簡単に書けるほうがよいですね。

 

>>御手洗池の地図

 

 

 

 

 

 

 


かつての知立宿の中心地である中町。八百勘という雰囲気がよい建物。

 

 

八百勘の前を通る県道298号線は、かつてきら道と呼ばれ、現在の西尾市方面に向かう旧街道なのです。

 

 

 

 

 

 


食品館美松(スーパー)の前に立つ池鯉鮒宿問屋場之跡の石碑。

 

 

問屋場とは幕府の役人や大名がその宿場を利用する時、彼らの荷物を次の宿場まで運んだり、幕府公用の書状(手紙)や品物を次の宿場に届ける運送業務を行った場所です。

 

 

>>問屋場跡の地図

 

 

 

 

 

 


問屋場を過ぎて最初の信号。右手(北側)を見ると、ガクッと下がっていることがわかります。そしてそのまま平坦に。

 

 

これは逆の北側から見ると、東海道が崖の上を這う様に通っているということです。つまり北側から見ると東海道や池鯉鮒宿が高いところにある。

 

 

この高低差って大事で、大雨などで浸水しにくいように高い場所に宿場を作ったのでしょう。

 

 

 

 

 

 


都築屋美廣という和菓子屋。歴史を感じますね。創業はいつくらいでしょうか。

 

 

 

 

 


都築屋美廣の裏手辺りにある池鯉鮒宿本陣跡。ここは石碑だけで東海道から1本離れた場所に石碑もあります。

 

 

ただこの石碑、コンクリートの貯水槽に向かって建っているので写真が非常に撮りにくかったです。誰に向けて建ててるの?

 

 

>>池鯉鮒宿本陣跡の地図

 

 

 

 

 

刈谷道


池鯉鮒宿本陣跡の石碑から少し進んだところに信号がありますが、よく見てみると刈谷道という信号名です。

 

 

実はこれ、街道の分岐なのです。

 

 

 

 

 

 


信号機から南西方向に道が伸びているのですが、この道が刈谷道という旧道です。まっすぐ進むと刈谷城に行くことができました。

 

 

現在では分断され、開発も進み、残されている場所も少ないのですが、東海道から分岐の道で刈谷城に行くことができたのがわかります。

 

 

 

 

 

 


東海道に戻ります。大きな蔵がありますね〜

 

 

これは山車蔵(だしぐら)といって、5月の知立神社の祭礼に使われる山車が収納してある蔵です。

 

 

 

 

 

知立古城跡


山車蔵を過ぎて右に曲がると、知立古城跡の看板と石碑が建っている公園があります。

 

 

ここから徒歩5分くらいのところにかつての三河二宮といわれている、知立神社があるのですが、神官の永見氏の館(館城)があった場所がこの知立城跡なのです。

 

 

永禄三年(1560)、桶狭間に向かう駿河(現在の静岡県東部)の今川義元もこの知立城の宿泊したといわれています。

 

 

>>知立古城跡の地図

 

 

 

 

 

 


看板にある江戸時代前期の古地図。これをよく見てみると、御殿(知立古城跡)と知立神社の間の道が折れ曲がっていますよね?

 

 

 

 

 

 


実はこの屈折、今でも残っています。

 

 

知立古城跡の公園から知立神社の方へ向かうと道が折れている、鉤の手(かぎのて)になっているのですが、古地図に載っているのとほぼ同じなのです。

 

 

この角に大あんまきで有名な小松屋があります。

 

 

 

 

 

 

小松屋

 


明治時代に発祥した東海道池鯉鮒宿の名物として有名な大あんまき。

 

 

知立市の大あんまきといえば、国道1号線にある藤田屋が有名ですが、元祖はこの東海道沿いにある小松屋です。

 

 

甘さ控えめのあんが食べやすく、街道ウォークの小休止にちょうどよいスイーツです。

 

 

>>小松屋のレビュー記事

 

 

 

 

 

 


小松屋の脇には池鯉鮒大明神と刻まれた石灯籠があります。大あんまきに気を取られて忘れないようにチェック!

 

 

 

 

 

 


知立神社の近くにある総持寺には、徳川家康の次男・結城秀康の母である、於萬の方誕生地の石碑があります。

 

 

 

 

 

 


逢妻川を渡り東海道は国道1号線を通ります。一里山町の歩道橋下に一ツ木一里塚跡が隠れる様にあるんです。

 

 

ホントに隠れている様な場所にあるので、これ探すのに10分くらいかかりましたよ!

 

 

現在は一里塚はなく石碑だけですが、東にある来迎寺一里塚(県指定)、西にある阿野一里塚(国指定)の間にあった一里塚です。

 

 

>>一ツ木一里塚跡の地図

 

 

 

 

 

 

ひもかわうどん発祥地の石碑

 


東海道は再び国道1号線から脇道に入ります。これはいもかわうどんの石碑。

 

 

江戸時代の東海道の紀行文にいも川うどんの記事がよく出るのですが、これが現在、関東でひもかわうどんと呼ばれている麺の原型。

 

 

また名古屋めしで有名なきしめんは、このいもかわうどんが元だったといわれています。そのいもかわうどん発祥の地が、現在の愛知県刈谷市です。

 

 

 

 

 

 


このいもかわうどんを復元したのが、きさんというお店。

 

 

江戸時代に東海道の名物として食べられていた、いもかわうどんを現在でも食べることができます。

 

 

>>店の場所と食べてみたレビュー記事

 

 

 

 

 

 

 


そして辿り着いた名鉄・富士松(ふじまつ)駅。実はこの駅含め、周辺の富士松という地名の由来は、戦国時代の桶狭間の戦いが由来なのです。

 

 

桶狭間合戦とは、駿河(静岡県東部)の戦国大名・今川義元が尾張に攻め込み、逆に討たれてしまった合戦です。

 

 

義元が討たれた後、今川軍の残兵はこの周辺にいた旅人を敵である織田軍の回し者と思い襲いました。

 

 

村人たちは亡くなった旅人を哀れに思い、丁重に葬り墓に1本の松を植えました。

 

 

これが富士松の地名の由来です。

 

 

富士松は昭和34年の伊勢湾台風で枯れてしまい、新しく駅前に松が植えられました。

 

 

 

 

 

境川


東海道は再び国道1号線と交差し、尾張国と三河国の境界である境川(さかいがわ)に着きました。

 

 

現在では、境橋が架けられており、広い歩道もあるので無理なく渡ることができます。この境川を渡ると尾張国です。

 

 

東海道五十三次の場合、池鯉鮒宿の次は鳴海宿ですが、その手前に旅籠が無かった間宿・有松宿があるので向かいます。

 

 

>>境川橋の地図

 

 

 

 

 

 

攻略ポイント

私の感想ですが、今回紹介した行程を歩くなら、名鉄・宇頭(うとう)駅〜豊明駅を歩くと便利です。所要時間は約4時間。

 

 

ポイントは池鯉鮒の松並木と池鯉鮒宿ですね。宿場で道幅は一部狭くなりますが、全体的に難所みたいなところもなく、歩きやすい行程でした。

 

 

三河と尾張の境の東海道ということで、この行程は是非、押さえておきたいです。

 

 

今回は国道1号線と脇道への交差が多いので、横断歩道や歩道橋を利用して無理なく歩きましょう。

 

 

またコンビニも多いですが、ランチは知立駅周辺がお店も多いので便利だと思います。

 

 

 

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