東海道有松宿 | 阿野一里塚と桶狭間古戦場そして有松絞り
知立宿を離れ西に向かいます。目指すは鳴海宿の手前にある有松宿です。
三河と尾張の国境である境川を渡り、東海道は再び国道1号線を分かれます。豊明駅を過ぎると分岐が見えてきますので、向かって左側の旧東海道を進みます。
分岐を少し進むと国指定史跡の阿野(あの)一里塚がある。
池鯉鮒宿の手前に残っていた県指定史跡の来迎寺一里塚のほうが立派に見えるのは気のせいでしょうか…
私の感想ですが、一里塚跡と言ったほうが正しいような残り具合です。
ちなみに愛知県内には江戸時代の一里塚が18基ありましたが、現存するのは5つのみ。
名鉄前後(ぜんご)駅。変わった名前の駅ですが、この駅がある地名も豊明市前後町。
一説によると永禄三年(1560)の桶狭間合戦で、この周辺まで戦闘が繰り広げられ前後に首が転がっていた、または追撃していた織田軍の兵が討ち取った首を槍の前後にぶら下げて清須に帰ったからなどと言われています。
しかし江戸時代の尾張地名考という書物に、この周辺の地名が全郷村(ぜんごうむら)と記載があるので、全郷⇒前後と変化したという説も。
その前後駅前を通る東海道から北側分岐する道があり、石碑と案内看板が建っています。
風化して読みにくいですが、是(これより)くつかけ、祐福寺、さなけ、ふくた原道とあります。
くつかけは豊明市沓掛町、祐福寺は東郷町春木、さなけは猿投神社がある豊田市猿投町、ふくた原はみよし市福田町です。
現地案内看板より。これを見ると北側に向けて道が伸びているのが分かりますね。
実際に登って行くと国道1号線を越え、二村台に向かう道になっています。
東海道を歩いて行くと国指定史跡戦人塚という看板が出てきました。
これは永禄三年(1560)の桶狭間合戦で亡くなった兵を埋葬した墓です。
看板に沿って国道1号線を越え、北に進むと住宅地の中に戦人塚があります。
どれくらいの人数が埋葬されているのかわかりませんが、名古屋市緑区・長福寺に江戸時代に編集されたといわれる桶狭間合戦討死者書上という史書があります。
それによると、桶狭間合戦の戦死者数は今川軍で2753人、織田軍で990人余りでした。
桶狭間合戦での戦死者を弔った墓はこの戦人塚のほか、緑区側の桶狭間古戦場に七ツ塚という7つの墓がありました。
東海道は再び国道1号線と合流します。
名鉄・中京競馬場前駅をの前くらいに豊明市側の桶狭間古戦場があります。
桶狭間合戦とは戦国時代の永禄三年(1560)、駿河、遠江(共に静岡県)の戦国大名・今川義元が尾張に侵攻し起きた合戦。
尾張の織田信長は今川軍より少ない兵数で勝利しました。その戦いがあった場所が桶狭間古戦場です。
合戦はこの周辺一帯に起こっていたと考えられますが、主戦場はもう1か所の名古屋市緑区側にもあります。
桶狭間古戦場(豊明市側)から離れ、大将ヶ根の信号を右側に入って行くと東海道有松宿です。
有松宿は(間宿:あいのしゅく)と言って、旅籠や本陣といった宿泊施設がなく、東海道五十三次の宿場には数えられていません。しかしながら慶長十三年(1608)に作られ、商店が並び栄えました。
有松宿は重要伝統的建造物群保存地区などに認定され、まちづくりも進められています。
これは有松宿の町並みですが電柱がありませんよね?地下に埋められているのです。
江戸時代はもちろん電柱はなく、コストはかかるのかもしれませんが、地下に埋めることで景観を損いませんね。
愛知県では有松宿のほか、犬山城の旧城下町でもこの電柱を地下に埋める整備が進められています。
有松は隣の鳴海宿の鳴海絞りとともに、有松絞りが今でも特産品です。
歌川広重の東海道五十三次にも鳴海絞りが描かれています。
こちらは消防団詰所。
街道沿いのクリニック。風景に溶け込んでいますね。
こんなカンジで、重要文化財級の建物もいくつかありますが、近代の建物をチェックしながら歩くのもまた街道ウォークの楽しみでもあります。
有松宿の外れにある有松一里塚。復元ですがここにかつて一里塚がありました。現在の一里塚は平成24年に復元されたものです。
この一里塚を越えて、東海道40番目の宿場・鳴海宿に向かいます。
攻略ポイントと感想
今回のコースを電車を使って歩くなら、名鉄・豊明駅〜有松駅が便利です。
所要時間は歩くだけなら約1時間ですが、途中に桶狭間古戦場(豊明)、そして有松宿も見どころが多いので、観光を兼ねて訪れた場合、約3時間位の時間はほしいです。
もうひとつの緑区側にある桶狭間古戦場は、有松駅から市バスもしくは徒歩で行くことができます。
東海道の散策とセットで訪れるのもよいですね。
有松宿内には飲食店もチラホラあり、イオンが有松駅に直結しているしているので、街道ウォークの際にも何かと重宝します。
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