東海道御油宿 | 姫街道と分岐する宿場跡と天然記念物御油の松並木

東海道御油宿 | 姫街道と分岐する宿場跡と天然記念物御油の松並木

東海道御油宿 | 姫街道と分岐する宿場跡と天然記念物御油の松並木

 

 

県道496号線の豊橋で豊川を渡り、東海道35番目の宿場・御油宿へ向かいます。

 

 

もくじ

 

 

 

 

 

豊川稲荷遙拝所


右手にある豊川稲荷遥拝所(ようはいじょ)。

 

 

東海道を行き交う人々は、ここから拝めば、豊川稲荷に参拝するのと同じ御利益を受けることができるとされた場所です。

 

 

実際にここから豊川稲荷までの距離は約6,5kmほどあるので、往復すると約13kmです。

 

 

東海道を急ぐ人たちにとってこのロスは大きい、でもこの周辺で有名な豊川稲荷には参拝しておきたい、という願いから作られた場所なのでしょう。

 

 

 

 

 


豊川稲荷遥拝所にある灯籠を見てみると、右御油道、左吉田道と刻んであります。平成の新しい灯籠です。

 

 

豊川稲荷遥拝所の地図

 

 

 

 

 

 


下地一里塚の石碑。現在は一里塚は残っておらず石碑のみ。

 

 

 

 

 


東海道沿いにある株式会社ヤマサン。もとは創業・元禄十六年(1703)の菜種油商。現在は業務用食品や冷凍食品などを作っています。工場の隣には趣のある家屋がありました。

 

 

 

 

 

瓜郷遺跡


東海道から約100mほど中に入った場所にある瓜郷遺跡(うりごういせき)。

 

 

弥生時代中期〜古墳時代前期(2000〜1700年前)の村の遺跡です。国指定史跡。

 

 

この周辺にはそれくらい昔から人々が住み着いていたワケで、逆に言うと村ができるくらい豊かな場所だったというのが分かりますね。

 

 

豊橋市美術博物館の公式サイトから、瓜郷遺跡のパンフレットをPDFファイルでダウンロードできます。

 

 

>>豊橋市美術博物館公式サイト

 

 

 

 

 

 


これは鹿菅橋(しかすがばし)。豊橋(とよばし)が架かるずっと前、平安時代の頃は現在の鹿菅橋近くに志賀須賀(しがすか)の渡しがあり、そこから南へ渡っていました。

 

 

それにちなんだ鹿菅橋です。

 

 

 

 

 

 


この周辺の海抜。

 

 

 

 

 

 


豊橋市魚市場の隣にあるお魚センターは、一般客でも利用可能で、中にはうどん、うなぎ、中華などボリューム感が期待できそうな食堂があります。

 

 

>>豊橋魚市場の地図

 

 

 

 

 

 

ポンポコラーメン

 


東海道は歩道がない高橋を渡ります。すると左手に何やら大きなビルがあるのですが…

 

 

 

 

 


ポンポコラーメン屋?!あまりのインパクトが気になりすぎて、橋を渡ったらすぐさまチェック!

 

 

 

 

 


ポンポコラーメンとは、山本製粉が販売しているインスタントラーメン。愛知県東三河地方のスーパーで購入することができます。

 

 

変わった名前の由来は、お腹ポンポコ、お腹いっぱいになってほしいという、創業者の願いから付けられた名前だとか。

 

 

1パッケージに6食も入っているのはその理由です。

 

 

私も今回の取材が終わってから早速スーパーに行ってみると、醤油、しお、味噌の3種類がありましたが、味噌が一番人気らしくすでに売り切れでした。

 

 

>>山本製粉公式サイト

 

 

 

 

 

子だが橋


歩道がない高橋をお渡り終えたところに子だが橋の石碑があります。

 

 

約1千年前。この近くにある菟足神社(うたりじんじゃ)には、人身御供(ひとみごくう)の習慣があり、春の大祭の初日に街道を最初に通った若い女性を捕らえ、生贄(いけにえ)として捧げる習慣がありました。

 

 

ある年のこと。

 

 

贄狩りを行っていた平井村の人の前を若い女性が通ったので捕らえたら、なんと実の娘でした。

 

 

どうするか迷いましたが、兎足神社の神の威光を尊く思い、我が子だがやむを得んと、ついに生贄に捧げてしまったとか。

 

 

それ以来、この橋を子だが橋と呼ぶようになりましたとさ。

 

 

>>子だが橋の地図

 

 

 

 

 

菟足神社


菟足神社(うたりじんじゃ)は、孝元天皇の末裔・菟上足尼命(うなかみすくねのみこと)を祭神とした神社で、白鳳十五年(686)頃に創建されたといわれています。

 

 

また伝説も多く、古代中国の秦の始皇帝から、不老不死の薬を探すように命じられた徐福がこの地に渡来したという話。

 

 

そして源義経に仕えた武蔵坊弁慶が、東行の時、大雨のために対岸に渡れず、兎足神社で過ごしていた時に植えた弁慶松などの話があります。

 

 

>>菟足神社の地図

 

 

 

 

 

糟塚砦跡


東海道からは少し離れますが、兎足神社から徒歩5分ほどのところにある龍徳院は、徳川家康が吉田城を攻める時に砦を築いた場所と言われています。

 

 

砦の名前は糟塚砦(かすづかとりで)。その後、吉田城は家康によって落とされ、砦跡に龍徳院が創建されました。

 

 

今でも本堂の裏に糟塚砦の堀と土塁を確認できます。

 

 

>>龍徳院(糟塚砦跡)の地図

 

 

 

 

 

 


東海道に戻ります。道が細くなったところに火防の神・秋葉神社と旧東海道を想わせる大松がありました。

 

 

 

 

 

 


明光寺に下部だけの輪塔があります。

 

 

その昔、現在の豊川市小坂井町大字宿と豊川市蔵子とが、昔野川の川筋について争っていました。

 

 

その境にこの五輪塔があり、両方で奪い合ったということです。上部は豊川市蔵子にあります。

 

 

 

 

 

伊奈村立場


立場(たてば)とは、旅人の休憩場所。お茶やその土地の名物などが販売されており、飲食できる店が立ち並んでいました。今でいう喫茶店みたいなところですね。

 

 

伊奈立場は東海道吉田宿と御油宿のほぼ中間にあり、加藤家が維持管理していました。

 

 

明治天皇が東京遷都の時、この伊奈立場で御休憩された歴史もあります。

 

 

>>伊奈立葉跡の地図

 

 

 

 

 

 


江戸から75里目の一里塚が伊奈一里塚。山本太鼓店の前にあります。

 

 

>>伊奈一里塚跡の地図

 

 

 

 

 


東海道は国道1号線と重なった後、再び分かれて御油宿の近くに入りました。趣(おもむき)のある建物が増えます。

 

 

 

 

 

 


御油一里塚跡。蒲郡信用金庫の生垣のところにあります。江戸日本橋より76里目の一里塚跡です。

 

 

>>御油一里塚の地図

 

 

 

 

 

姫街道との追分


東海道を進むと姫街道(本坂通)との分岐の道があります。これを追分(おいわけ)と言います。

 

 

東海道は浜名湖の下(南)を通る道で、姫街道(本坂通)は浜名湖の上(北)を通る道で、浜松方面に抜けることができました。

 

 

>>姫街道との追分の地図

 

 

 

 

 

 


御油宿の高札場跡。高札とは幕府や領主の法令、禁令を書いた大きな札を掲げたところ。

 

 

現在の私達は新しい法律や条例をTV、インターネット、広報誌などで知ることができますが、江戸時代は高札場で知ることができました。

 

 

現在は高札場跡ということで、案内看板が建っているのみです。

 

 

>>御油宿高札場跡の地図

 

 

 

 

 

 


高札場跡の前の道が御油宿の曲尺手(かねんて)。S字や鈎字に曲がった道です。

 

 

 

 

 

松並木資料館


曲尺手の終わりのところに郵便局がありますが、その裏に御油の松並木資料館があります。

 

 

この資料館は東海道御油宿とその先にある天然記念物・御油の松並木についての詳しい展示があります。

 

 

トイレ休憩も兼ねてチェックしてみてください。

 

 

>>御油の松並木の地図

 

 

 

 

 

 


御油宿本陣跡の石碑。本陣とは宿場の中で最も格式が高い建物で、大名や公家などが泊まる宿泊施設です。この本陣は鈴木半左衛門が管理していました。

 

 

現在では石碑のみですが、宿場の中央に近い場所にあります。

 

 

>>御油宿本陣跡

 

 

 

 

 


愛知県では有名なイ・チ・ビ・キ〜の工場

 

 

 

 

 

東林寺の飯盛女の墓


飯盛女(めしもりおんな)とは、宿場の旅籠で働いていた女性のこと。その多くは貧しい村から売られた女性たちで、亡くなっても墓も作ってもらえない人たちでした。

 

 

しかし御油宿のとある旅籠屋で、一度に複数の女性たちが集団自殺し、哀れに思った旅籠の主人が東林寺に彼女達の墓を建立しました。

 

 

>>詳しい東林寺レビュー記事

 

 

 

 

 

御油の松並木


御油宿も終盤に差し掛かりましたが、次の宿場である赤坂宿は約500mくらいしか離れていません。

 

 

その赤坂宿と御油宿の間にある松並木は保存状態もよく、天然記念物に指定されています。これが有名な御油の松並木です。

 

 

江戸幕府は東海道を旅する人たちのために、風よけや防寒対策として沿道に松を植えさせました。

 

 

その多くは枯れてしまったり、近年の開発で無くなったりしましたが、東海道を歩いていると松並木が残っていたり、復元されたりしています。この御油の松並木も見事なものです。

 

 

 

 

 


松並木の両脇には、カフェなどもチラホラあり、公園にはトイレがあります。見事な松並木なので、途中、休憩しながら歩いていくのも良いですね。

 

 

この松並木を抜けると、東海道36番目の宿場町、赤坂宿です。

 

 

 

 

 

攻略ポイントと私の感想

今回のコースを電車と使ってあるくなら、豊橋駅から豊橋を渡り、御油宿に向かうのがよいでしょう。もし宿場にに特化したければ、名鉄・御油駅で降りて赤坂宿とセットで楽しむのもアリですね。

 

 

私の感想ですが、ローカルな県道沿いに江戸時代のローカルな史跡を発見できるコースだと思いました。

 

 

かつて城巡りで糟塚砦は15年前くらいに行ったことがありましたが、その近くの兎足神社や子だが橋などは今回の街道巡りで初めて知りました。

 

 

この知らなかった歴史、史跡との出会いも街道ウォークの楽しみのひとつでしょう。

 

 

あと御油の松並木資料館は建物は古いですが(それでも昭和とか)、展示内容が分かりやすいので個人的にはおすすめです。

 

 

 

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