東海道二川宿 | 現存の本陣と旅籠が残る二川宿本陣資料館の宿場
遠江(静岡県西部)の白須賀宿を出て愛知県に入りました。境川が遠江国と三河国の境でしたが、今でも静岡県と愛知県の境になっています。
目指すは日本橋から33番目の宿場・二川宿です。
東海道は国道1号線と合流。一里山の交差点で信号待ちをしていると、右手に有楽製菓の看板を発見!
これぞ知る人ぞ知る、豊橋市の名物・ブラックサンダーを作っている会社なのです。
ブラックサンダーとは、愛知県ならスーパー、コンビニで1個30円〜で販売しているチョコレートのお菓子。
いろんな種類があって、地方に行くと地域限定版などもあります。その製造工場が東海度沿いにも近い豊橋市原町にあるのです。
またここでは工場見学のほか、ブラックサンダーの直売所もあり、いろんなブラックサンダーを購入できるほか、詰め放題もあります。
東海道はしばらく国道1号線なので、ここで迂回して有楽製菓の工場に行ってみるのもアリですね。
国道1号線沿いに残る一里山一里塚跡。国道1号線を挟んで南北にありましたが、現在は北側1基のみ。
東西11m、南北14m、高さ3mの塚です。
茂みの中にあって分かりにくいですが、愛知県で最初の一里塚に出会いました!
国道1号線二川ガード南の信号から右に曲がって新幹線の高架をくぐります。
梅田川を渡って分岐を左に進むと、二川一里塚の石碑がありました。ここからが東海道二川宿です。
ちなみに電車で訪れた場合、JR本線・新所原駅から立岩街道を歩き、大脇町の信号で南に下るとこの二川一里塚に出ます。
この日は日曜日の早朝ということで、旧二川宿も静かです。
江戸時代の建造物が残る二川宿の商家・駒屋。問屋役や名主などを勤めた田村家の遺構です。
駒屋の西にある分家・西駒屋。母屋と土蔵が国登録有形文化財に指定されています。駒屋みたい中に入ることはできません。
西駒屋の向かいにあるのが二川宿本陣資料館。私の感想ですが、ここは全ての東海道ウォーカーにオススメの資料館です。
その理由は2つあります。
まず現存の本陣と旅籠を両方見学できるという事。
そして2つ目は資料館の展示内容が充実しており、二川宿のことはもちろん、江戸時代の通貨や旅行に関して詳しく学ぶ事ができます。
じっくりと見学するなら、数時間は時間を用意しておきたい資料館です。
二川宿の旅籠屋は38軒あったといわれています。
晴明屋以外の旅籠はもう残っていませんが、跡地には看板も残ります。ここは三度屋だった場所。
問屋場(といやば)とは分かりやすく言うと、宿場での運送業務を行っていた場所。
二川宿には東と西、2つの問屋場がありました。
こちらは高札場跡。石碑のみですが、石碑が建っているだけでも街道ウォーカーとしては嬉しいです。
二川宿立場(たてば)茶屋跡の石碑。
立場とは、宿場の外にある旅人たちの休憩する場所。旅人たちが杖を立て、一休みしたのでこの名前が付いたという説があります。
二川宿はこの立場茶屋辺りが西の外れで、ここに川があり橋と門があったそうです。
立場ではその土地の名物が売られており、二川宿は柏餅が有名だったので、この辺りの立場で旅人が柏餅を食べていたのでしょうね。
立場茶屋跡の石碑を越えて西に進みます。するとJR二川駅前のロータリーの植え込みにも道標がありました。
是より岩屋江八丁と刻んであります。弘化四年(1847)建立の石碑です。
岩屋道への分岐にあった道標と思われるので、ここではなくもう少し西にあったのでしょう。
JR二川駅を過ぎて西に進むと、今度は渥美郡奥郡への道標があります。現在の伊良湖方面へ抜ける田原街道の道標ですね。
東海道は緩やかに登っていきます。坂の途中の交差点名を見てみると、火打坂という名前です。
この近くにある岩屋山からは、火打ち石が採掘されていたので、そこからきた名前なのでしょう。
ちなみに二川宿の名物は柏餅ですが、隣の吉田宿の名物は『ほくち』といって、火打ち石の火を移しとるものです。
火打坂の交差点から左側(西側)を見ると、山の上に観音様が立っています。あれが岩屋観音です。
岩屋観音は天平二年(730)、行基がこの地に赴いた時、千手観音像を刻んで岩窟に安置したのが始まりと言われています。
江戸時代には東海道を往来する旅人たちの信仰を集めました。
現在建っている聖観音立像は昭和二十五年(1950)に再建されたものです。
東海道は民間の店の中に入ってしまいます。それがガーデンガーデンです。
江戸時代の旧東海道はガーデンガーデンの中を通っているのですが、定休日など中に入ることができないので店をぐるっと迂回しましょう。
飯村(いむれ)の旧東海道の黒松跡の記念碑。
かつてこの周辺には江戸時代から昭和40年頃まで、街道の両脇に100本を超える松並木が広がっていました。
しかし道路拡張工事やマツクイムシの被害で徐々に減少し、最後の大黒松も平成十九年(2007)に伐採されてしまいました。それら松並木の記念碑です。
最後の大黒松の写真。伐採された後、年輪から江戸時代末期の安政年間(1854〜60)頃に植えられたことが分かりました。
ちなみにこの松の切り株は、二川宿本陣資料館に移動されています。
東海道は大きく広い県道と重なり、そのまま西へと進みます。すると東京庵という店で豊橋カレーうどんと書かれたのぼりを発見!
豊橋カレーうどんとは豊橋市のご当地グルメ。定義がいくつかあって、店ごとに個性があるカレーうどんです。
豊橋市内のいくつかの飲食店で食べることができるので、街道ウォークの際にもチェックしてみてください。
東海道は再び国道1号線と合流します。そこに建つのが飯村一里塚跡の石碑です。
ここから吉田宿まで国道1号線を歩いていきます。
攻略ポイントと私の感想
二川宿に電車でアクセスする場合、少し工夫が必要です。
なぜかというと、JR二川駅が最寄り駅なのですが、ここはすでに宿場の外にあるので、二川一里塚まで行きUターンすしてから帰ってくるという手間がかかります。
そこで私の体験なのですが、新所原駅で降りて立岩街道から東海道に入るコースがオススメです。
ちなみに純粋に東海道を歩く場合、1つ隣の白須賀宿には電車駅が無いので、新居宿の新居町駅から歩くことになります。
距離で約15km。時間で5時間くらい必要なので、体力やその日の所要時間と相談しましょう。
さて、二川宿の見どころはなんと言っても二川宿本陣資料館です。
ここもジックリ見ると数時間経ちますが、街道ウォーカーにはオススメの資料館なので、時間はここでたっぷりと使いたいですね。
関連ページ
- 吉田宿
- 愛知県豊橋市にある旧東海道吉田宿の体験レビュー記事です。吉田城と豊川が有名ですが戦国武将の池田輝政や藤堂高虎縁の地でもあります。そんな吉田宿のアクセス方法や観光ポイントを私の感想と共に書いています。
- 御油宿
- 愛知県豊川市に残る旧東海道・御油宿に行った時の体験レビュー記事です。アクセス方法から御油の松並木などの観光ポイント、そして見どころを私の感想と共に書いています。
- 赤坂宿
- 愛知県豊川市にある旧東海道赤坂宿の体験レビュー記事です。平成まで営業していた旅籠・大橋屋をはじめ広重の東海道五十三次に出てくる現存のソテツなど、アクセス方法から観光ポイントまで赤坂宿の感想を書いています。
- 本宿
- 愛知県岡崎市にある旧東海道本宿を訪れた時の体験レビュー記事です。本宿周辺は徳川家(松平家)ゆかりの法蔵寺や山中八幡宮、そして山中城跡があります。本宿のアクセスとそれら観光ポイントを私の感想と共に書いています。
- 藤川宿
- 愛知県岡崎市にある旧東海道藤川宿に行った体験レビュー記事です。紫麦や藤川の松並木そして歌川広重の東海道五十三次にも描かれた東棒鼻などの見どころを解説しています。
- 岡崎宿
- 愛知県岡崎市にあった旧東海道岡崎宿とその前後の東海道史跡巡りレビュー記事です。徳川家康ゆかりの岡崎城や豊臣秀吉、蜂須賀小六といった戦国武将ゆかりの史跡を紹介します。
- 知立市宿(池鯉鮒)
- 愛知県知立市にあった旧東海道知立宿(池鯉鮒宿)の現地レビューです。馬市と知立神社が有名ですが、山車や大あんまき、そしてカキツバタの無量寿寺も近くにあり見どころが多いです。現地を歩いてみた体験記を私の感想と共に書いています。
- 有松宿
- 東海道池鯉鮒宿と鳴海宿の間にある鳴海宿周辺の史跡と見どころを紹介した記事です。実際に街道を歩いてみた私の感想なども書いています。
- 鳴海宿
- 東海道鳴海宿の訪れた時の体験レビュー記事です。桶狭間合戦ゆかりの城跡や砦群、そして笠寺観音など鳴海宿周辺の観光ポイントも記載しています。
- 宮宿
- 江戸時代に整備された旧東海道最大の宿場と言われる宮宿のレビュー記事です。アクセス方法や宿場での観光ポイントなどを私の感想とともに書いています。