宿場で働く人足、雲助、駕籠かき、留女、飯盛女とはどんな人?

宿場で働く人足、雲助、駕籠かき、留女、飯盛女とはどんな人?

宿場で働く人足、雲助、駕籠かき、留女、飯盛女とはどんな人?

 

 

旧東海道など街道の宿場ではいろんな人達が働いていました。立場も違えば役割も違います。ここでは一般人の職業について説明します。

 

 

 

 

 

人足・雲助

 


人足(にんそく)とは主に物の運搬や、普請(ふしん)といわれる土木工事などの力仕事に従事する労働者。人夫とも。

 

 

また大井川などでは川越人足(かわごえにんそく)といって、肩車や輿(こし:みこしみたいなもの)で旅人を対岸まで運ぶ仕事もありました。

 

 

雲助(くもすけ:蜘蛛助)とは、わかりやすく言うと日雇い、臨時に雇う人足のこと。

 

 

出身地も定かではなく、素行の悪い者もいたみたいです。

 

 

例えば「人の足下を見る」という言葉があります。これは人のは弱みにつけこむという意味です。

 

 

この語源はかつて性格の悪い雲助が、客の草履を見て、擦り切れている(もうあまり歩けない)場合には通常よりも高い金額をふっかけたということに由来します。

 

 

 

 

 

 

駕籠かき

 


駕籠かき(かごかき:駕籠舁)とは、駕籠を担ぐ人足のこと。

 

 

駕籠は大名や公家(くげ)といった身分の高い人以外の庶民でも乗ることができました。

 

 

東海道には難所が箱根や大井川などの難所も多く、旅人の疲れもあったので、そういった場合に駕籠を利用したのです。

 

 

ちなみに料金はその宿場ごとに違いましたが、例えば『次の一里塚まではいくら』という、大まかな目印で設定されていました。

 

 

 

 

 

 

留女、飯盛女

 


留女(とめおんな)とは、旅籠での客引きをする女性のこと。東海道をはじめ、美濃路や佐屋街道の宿場にはたくさんの旅籠が存在していました。

 

 

例えば天保十四年(1843)の記録では、吉田宿(愛知県豊橋市)は65軒もの旅籠屋がありました。

 

 

旅籠も部屋を埋めればそれだけ利益になります。そこで夕暮れ時、今晩泊まる旅籠を探している旅人を半ば強引に自分たちの旅籠に引き入れたのが、留女たちでした。

 

 

飯盛女(めしもりおんな)とは、旅籠で旅人の世話をする女性たちの事です。しかしそれは表向きで、中には遊女の様な女性もいたのです。

 

 

飯盛女は宿場近くの村の貧農の娘たちも多く、親の借金のために期間で奉公(働きにでること)させられてもいました。

 

 

愛知県豊川市の東海道御油(ごゆ)宿にある東林寺には、飯盛女たち4人の墓が残っています。

 

 

 

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