船会所、船橋、雁木とはどんな意味?渡船場にまつわるQ&A
船会所(ふなかいしょ)とは、渡船場で渡し船を管理していた役所のこと。
船橋(ふなはし)とは、船を繋いで作った臨時の橋。
雁木(がんぎ)とは、渡船場で船荷を積み下ろしするために使う階段のことです。
街道ウォークの時、これらの渡船場にまつわる用語が現地案内看板などでよく出てきます。
そこで実際にはどんなものなのか、現代に残る遺構や復元されたものをチェックしてみましょう!
船会所(ふなかいしょ)とは、渡船場で渡し船を管理していた役所のことです。
東海道、美濃路、佐屋街道など海や川を船で渡る場所には、必ずありました。残念ながら現存の建物はありませんが、場所はいくつか残っています。
例えば上の画像は佐屋街道・佐屋宿の代官所跡。ここでは代官所が佐屋宿三里の渡しで使う船も管理していました。
船橋(ふなはし)とは、船を並べて作った臨時の橋のこと。将軍や朝鮮通信使など、超がつくほどVIPの方が海や川を渡る時、可能な限り船橋が作られました。
なぜ船で渡るのではなく船を繋いで橋にするのかというと、そのほうが揺れないし沈没もないから。
有名なのは美濃路の船橋。佐渡川(揖斐川)、墨俣川(長良川)、小熊川(境川)、起川(木曽川)に架けられました。
天和二年(1682)に起川(木曽川)に架けられた日本最大級の船橋の話が残っています。
この時は朝鮮通信使が江戸に向かうために起川(木曽川)に船橋が架けられましたが、近隣の村から調達された大小の船274艘で船橋を作り、長さ475間3尺(約864m)の船橋が架けられました。
この日本最大級の船橋を渡った朝鮮通信使は、次のように記録を残しています。
起川を過ぎた。これは最も大きな川である。
橋を作った船が三百艘の多きに達し、これに要した費用を尋ねると、川を掘り船を並べる工事と鉄鎖を運搬する費用は殆ど数千余金が費やされたという。
その形態と制作したものを見ると、その言葉が虚言ではないようだ。(一宮市尾西歴史民俗資料館)
雁木(がんぎ)とは、渡船場で船荷を積み下ろしするために使う階段のことなのですが、渡船場自体を指す場合にも使われます。
例えば上の画像は東海道舞阪宿の北雁木(きたがんげ)。ここは階段状のものはなく、渡船場自体を雁木(がんげ)と呼んでいます。
ちなみに舞阪では『がんぎ』ではなく、『がんげ』と言います
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