中山道垂井宿 | 美濃路の追分と松並木そして旧旅籠屋・亀丸屋と町並み
大垣宿を出て美濃路は中山道と合流する垂井宿へ向かいます。今回の美濃路ウォークも最終章です。
杭瀬川に架かる塩田橋近くに塩田常夜燈がある…ハズでしたが、壊れているのでしょうか?ブルーシートがかけられていました。
再び県道31号線を越えて美濃路を歩きます。写真は静里町あたり。この周辺の美濃路はまっすぐで旧街道を想わせますね。
これは久徳一理塚(きゅうとくいちりづか)。南側だけ残っています。美濃路の現存一里塚はここと冨田一里塚のみです。
石碑と案内看板が建っています。
ここは平林荘といって、江戸時代の蘭方医・飯沼慾斎(いいぬま よくさい)が植物を研究した別荘跡です。
この正面の門が大垣城の移築門。大垣市の指定文化財です。
美濃路は国道21号線高架をくぐります。しばらく21号線沿いを歩きます。
美濃路を歩いて目立つのが高い場所にある社。
この周辺は濃尾平野なので、洪水対策は常に考えられていました。この社も水没しないように高い場所に置いてあります。
美濃路は再び国道21号線から離れ、いよいよ不破郡垂井(たるい)町に入ります。
この辺りは国道から逸れると旧街道の雰囲気が残ります。
垂井町に入ってから最初の見どころが綾戸古墳と物見松です。
まず綾戸古墳は古墳時代末期の七世紀頃のもの。被葬者不明。
そして物見松は平安時代末の盗賊・熊坂長範(張範)が旅人を襲うために身を隠していた松のこと。
運悪く?奥州(東北地方)へ向かう金売吉次を襲ってしまい、同行していた牛若丸(源義経)に返り討ちにされてしまいましたとさ。
この2つの史跡は垂井町立東小学校直ぐ側にあります。
垂井宿に近づくと松並木が見えてきます。垂井町指定の天然記念物。
かつては道の両脇に松が植えてありましたが、現在はわずかに残るのみです。
松並木は東海道にはいくつか残っていましたが、美濃路ではこの垂井の松並木のみですね。
美濃路は垂井宿手前で中山道と合流。逆に垂井宿から見ると、ここで中山道から美濃路が分かれています。この街道の分かれ道を追分(おいわけ)といいます。
東海道も愛知県豊橋市の御油宿で姫街道と分かれる追分が残っています。
さて、現在のこの追分には宝永六年(1709)、垂井宿の問屋・奥山文左衛門が建てた石碑があります。刻んである文字は次の通り。
是より 右東海道大垣みち 左 木曽海道たにぐみみち(ママ)
高さ1.2m、幅40cmのサイズです。
垂井町の東の入り口、東見附(みつけ)です。
この手前に流れる相川は当時暴れ川と呼ばれるくらい水の流れが激しい川で、川を渡る方法は主に近隣の百姓たちの人足渡しでした。
それでも朝鮮通信使や身分の高い人が通る時は、臨時に木橋が架けられたみたいです。
【人足渡し】 船を使わず人力で川を渡る方法。肩車や輦台(れんだい)などがあり、料金も様々)
旧垂井宿の様子。
旧家でしょうか。当時の雰囲気がすごく残ってますね。
かつて旅籠屋だった亀丸屋。看板が出ていたのでまだ営業していると思いきや、現在では宿泊業はしていないとのこと。泊まることはできません。
安永六年(1777)の建物で、南側に入り口があり、二階には鉄砲窓が残る造りです。
街道ウォークしている人なら、一度は泊まってみたかった旅籠ですね。
垂井宿本陣跡。本陣とは大名や公家、または幕府要人など身分が高い人が泊まる施設のこと。現在は石碑のみです。
垂井宿内にある南宮大社の鳥居。本殿はここからは約1.3km(所要時間は約20分)ほどの場所にあります。
南宮大社は美濃国一宮で、裏山の南宮山は慶長五年(1600)の関ケ原合戦時、西軍の毛利秀元、吉川広家、安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が陣を置いた歴史があります。
また旅籠屋の建物を発見。長浜屋です。
天保二年(1831)、13代将軍・徳川家定に嫁ぐ、有姫の行列・総勢3200名が垂井宿に宿泊した時、お輿を担ぐ23名が宿泊した建物です。
現在は週末の土日のみ、休憩所として活用されています。
本龍寺の前に設置してある高札場(こうさつば)。元の場所はここから数メートル離れた場所でした。
高札場とは、幕府や領主が決めた新しい法を領民に分かる様に高札という札に書き、掲示した場所。
内容は時代や場所によって違いますが、キリシタン(キリスト教)の禁止や偽金(にせがね)作りや使用の禁止、また親子兄弟の忠孝を守る事などについても書かれました。
垂井宿の中山道から少し離れますが、名所をチェックしておきましょう。それが垂井の泉です。
ここは垂井の地名の起源ともいわれ、豊富で良質の湧き水により、岐阜県名水五十選にも認定されています。
垂井の泉の隣にある高台は、かつての垂井城跡推定地。
関ヶ原合戦で西軍として戦った平塚為広の居城跡です。
垂井宿の西側の入り口である西見附(にしみつけ)跡。
今回は東見附から垂井宿に入ったので、この西見附までが垂井宿です。
西見附から西へ中山道を見る。次なるは中山道関ケ原宿です。
攻略ポイントと感想
さて、今回の美濃路の旅は中山道に合流した垂井宿で終了です。いかがでしたか?
今回のコースを電車を使って歩くなら、JR大垣駅で降りてJR垂井駅で帰るのがベストでしょう。
これだと大垣宿、垂井宿両方を楽しむことができます。
私の感想ですが、大垣宿とセットにする事によって、異なる美濃路の宿場を楽しむことができると思います。
なぜかと言うと、大垣宿は城下町の特徴が色濃く、垂井宿は純粋に宿場としての性格が残るからです。
2つの宿場を歩いて約5時間位の所要時間ですし、ほぼ平地なので私的にもおすすめです。
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