佐屋街道神守宿 | 佐屋街道で唯一の現存一里塚と津島神社への埋田追分
佐屋街道は津島市に入ります。ここの宿場は神守(かもり)宿。正保四年(1647)に置かれた佐屋街道では一番新しい宿場です。ここも見ておきたいものがたくさんあります!
神守(かもり)一里塚は佐屋街道で唯一現存している一里塚です。
※神守の読みは かもり
熱田から数えて4番めで江戸日本橋からは93里目(約368km)の一里塚。この神守一里塚あたりから旧神守宿が始まります。
神守一里塚にあったこの周辺の海抜。マイナス?つまり界面より地盤のほうが低いということ。
佐屋街道ラインは神守町下町の信号交差点を右に曲がります。神守一里塚からここまでが下町。
ふと振り返ると大きな山車蔵がありましたw
まっすぐな道がしばらく続き突き当りに出るまでが中町。右側には緑の歩行帯があります。津島市立神守小学校の通学路です。
突き当りにある神守宿の碑。ここに神守宿の本陣がありました。
また近くにある憶感(おかん)神社の祭神は雨を降らせる(おかみ)の神。かつての神守宿は、この憶感神社を中心として置かれていました。
神守宿の碑から西が上町。問屋場も本陣と同じく上町にありました。
神守宿を抜け佐屋街道を更に西へと進みます。濃尾平野〜を実感できますね。
佐屋街道は越津(こしづ)町信号交差点から県道68号線に合流。この越津町はかつて江戸時代中期に栽培され始め、幕府にも献上されていた越津ねぎ発祥の地です。
市場に出回るのは11月〜翌年3月頃まで。
ちなみに越津ねぎは岡崎市の法性寺ねぎなどと共に愛知の伝統野菜にも指定されています。
佐屋街道で日光川に架かる日光橋を渡ります。
渡ったところにある日光橋の石柱と説明板。佐屋街道はここから土手をおり、下の旧道へ向かいます。
佐屋街道は埋田の追分に出ました。ここは佐屋街道と津島神社へ向かう下街道の分岐点。彫られている文字は次のとおりです。
東面 『右 つしま天王みち』
北面 『左 さやみち』
南面 『あつた なごや道』
埋田の追分の近くに何やら石柱が建ってます。実はこれ、昭和三十四年(1959)の伊勢湾台風で倒壊した津島神社一の鳥居の根本部分なのです。
近くには津島神社の常夜燈もあり、幕末まで茶店が立ち並び、大正時代までは松並木も残っていました。
これは津島市のマンホール。藤(ふじ)と津島神社で毎年夏に行われる天王祭の巻藁船(まきわらぶね)が載ってます。
追分道標から西に進むと津島神社に行くことができます。佐屋街道は南に向かいます。
攻略ポイントと感想
今回のコースを電車で歩くなら、近くに電車駅が無いので地下鉄・岩塚駅で降りて万場宿、神守宿を経てJR津島駅まで強行軍というのが手っ取り早いです。
でもほぼ平地ですし、歩道も広く歩きやすい部分が多いので、純粋に街道ウォークを楽しむことができると思います。
さて、今回のポイントはゼロに近い海抜エリアと濃尾平野を楽しむことでしょう。
また佐屋街道唯一の現存一里塚である、神守一里塚は要チェックです!あと時間があれば津島神社もオススメ。