鵜殿長持に敗れた徳川家康を助けて目を無くした岡崎市藤川宿明星院の片目不動尊
岡崎市の東海道藤川宿にある明星院は戦国時代に徳川家康を助けたといわれる不動明王を祭る寺院です。
明星院には次の様ないわれがあります。
片目の不動尊
徳川家康が若い頃、今川方の武将・鵜殿長持と戦ったが、岡崎勢は総崩れとなって退却を始めた。この時、岡崎勢の後ろに白衣の入道が現れ、そのまわりから何百何十の矢が一度に射出だされた。鵜殿軍は総退却を始め岡崎勢はこれに力を得て追撃を始めた。鵜殿軍にも一人の勇将がいて、白衣の入道に狙いをこめて矢を放った。が、入道はびくともしなかった。
戦いは岡崎勢の大勝に終わり、家康は大いに喜んだ。後に明星院へ御参りに来てみると、不思議なことに不動明王の片目がつぶれていた。それ以来片目の不動尊と言われるようになった。
その後、代々の将軍をはじめ、時の大名の崇敬も高く、東海道を上下向の際には明星院に立ち寄り、武運長久や道中安全の祈願をした。また、心願成就や災難除けを祈願する人々があとをたたなかったと言われている。
徳川家康といえば江戸幕府を開いた人物ということで教科書にも載ってます。でも今回紹介したエピソードは永禄三年(1560)の桶狭間合戦直後の頃、まだ家康が20歳前後の時の話です。
説明に今川方の武将・鵜殿長持と戦ったがとあります。鵜殿氏は現在の蒲郡市と周辺に勢力を持っていた有力者です。岡崎城で今川氏から独立した家康はこの鵜殿氏と戦い、最終的には勝利しています。
ただずっと勝ち続けていたわけではなく、今回みたいに局地戦で押された事が何度もあったのでしょう。
私の感想ですが、この話は大河ドラマや歴史番組などでは放送されない地元の郷土史ですが、世に知られていない歴史が残っており興味深かったです。あと補足ですが片目不動尊は普段は拝観できません。12年に1度御開帳があります。前回は2017年だったので、次の御開帳は2029年ですね。
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