美濃路起宿 | 脇本陣の建物と木曽川の渡船場そして船橋跡の宿場
いよいよ愛知県(尾張)最後の起(おこし)宿です。木曽川沿いの宿場でここから川を渡ります。
起宿に着いたらまずチェックしておきたいのが、一宮市尾西歴史民俗資料館。ここは来館者用の無料駐車場もあります。
美濃路の歴史はもちろん、起宿の詳細や資料もあり、また地元スタッフが常にいるので、細かな事や最新情報をチェックできます。
資料館に隣接する旧林家住宅。美濃路時代の脇本陣です。
明治二十四年(1891)の濃尾地震で倒壊しており、現在の建物はは翌年に立て直したものですが、江戸時代後期の建築がほぼ残っています。
脇本陣の建物は残っていますが、本陣、問屋場は石碑のみ。
起宿には以下の3つの渡船場(とせんば)がありました。
- 上の定渡船場(じょうとせんば)
- 中の宮河戸(みやごうど)
- 下の船橋河戸(ふなはしごうど)
常に3つ開放、使用されていたのではなく、それぞれ役割がありました。
まずは一番下流の船橋河戸(ふなはしごうど)、船橋跡から。船橋とは船を並べてつなぎ止め、その上に板などを置いた橋のこと。
将軍の上洛や朝鮮通信使の通行という、特別な時のみ船橋が架けられました。
起の船橋は全長約850m、船数は270艘を越える日本最大の船橋で、当時は起川船橋(おこしがわふなはし)と呼ばれました。
宝暦十四年(1764)の朝鮮通信使の来朝を最後に架けられることはなくなりましたが、尾張名所図会は起船橋を東海第一の壮観と称し、朝鮮通信使の一行も船橋の壮大さを記録に残しています。
ちなみに対岸の岐阜県羽島市側にも船橋の到着地が船橋跡神社として残っています。
両方の石碑の場所から、船橋の距離や規模を想像してみるのも良いですね。
真ん中にある宮河渡(みやごうど)は、主に船荷の上げ下ろしが行われていたほか、大藩の渡船など上の渡しの定渡船場だけでは困難な時に使用されていました。
また文久元年(1861)の皇女・和宮(かずのみや)下向の時は当初、美濃路を通ることが計画されており、その時、この宮河渡の使用も計画されました。現在は大明神社になっています。
この大明神社は大木がいくつかありますが、かつて本殿前には、慶長五年(1600)の関ヶ原合戦時、東軍の福島正則が馬を繋いだという、馬繋の杉があったといわれています。
一番上流にある定渡船場(じょうとせんば)は、常に使用されていた渡船場で、参勤交代の大名はもちろん、公家、幕府要人、また町民などの一般客もここから木曽川を渡りました。
ここは江戸時代初期から尾張藩に定渡船2艘、置船1艘、御召渡船1艘の計4艘が預けられ、他に馬船や鵜飼い船なども置かれて賑わいました。
昭和三十一(1956)に濃尾大橋が架けられ、渡船場はその役目を終えますが、逆に言うとそれまで木曽川を渡るメインの方法だったということです。
定渡船場の石碑がある金比羅宮のすぐ後ろに人柱観音があります。
これは慶長十六年(1611)に行われていた木曽川の工事が悪天候などで難航していた時、近くい住んでいた信心深い『与三兵衛』という者が、進んで人柱となるため、木曽川に身を投げました。
その後、工事は完了しましたが、たびたび霊火が出るようになり、これを与三兵衛の火と恐れた村人たちは、人柱観音を建立します。
また昭和に入り濃尾大橋が架けられましたが、その時に犠牲になった3人も小観音として合祀されています。
美濃路時代、渡船場の実務を行い、綛糸(かせいと)の仲買商人だった湊屋の建物。明治初期の建物で国登録有形文化財です。ちなみに今はカフェ。
営業は毎週水、土、日。軽食がメインですが、街道ウォークの休憩にオススメ。
起宿を楽しんだら濃尾大橋を渡ります。橋の下を流れる木曽川を越えると、美濃(岐阜県)です。
攻略ポイントと感想
今回のコースを電車を使って歩くなら、近くに最寄り駅がないので考えられるのは次の3つの方法です。
- 名鉄・萩原駅で降り萩原宿とセットで歩く
- 一宮駅発の市バスで訪れる
- あえて近くの名鉄奥町駅(徒歩50分)を利用する
ちなみに私は萩原宿とセットで歩きましたけどw
さて起宿の感想ですが、ここは貴重な渡船場跡を見ることができて良かったです。
また資料館は展示が充実しており分かりやすく、旧林家は脇本陣の建物として貴重です。
あと石碑や案内看板も多かったので助かりますね。注意点ですが、歩道が狭い道が多く、その割には車の通行量が多いので、歩く際には十分に注意が必要です。
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