美濃路萩原宿 | 舟木一夫の生家後とチンドン祭りの町そして冨田一里塚

美濃路萩原宿 | 舟木一夫の生家後とチンドン祭りの町そして冨田一里塚

美濃路萩原宿 | 舟木一夫の生家後とチンドン祭りの町そして冨田一里塚

 

 

美濃路ウォークも約半分です!今回は一宮市萩原町に残る萩原宿を訪れます。

 

 

美濃路は現在の萩原商店の中を通過しているので、そのまま萩原商店街に入って行きましょう!

 

 

 

 

 

もくじ

 

 

 

 

 

舟木一夫生家跡


歌手・舟木一夫さんの生家跡です。私はあまり知らないのですが、高校3年生、絶唱、学園広場などが有名曲。あと銭形平次とか。

 

 

 

 

 

 

現地案内看板より。舟木一夫さんは昭和十九年(1944)、現在の一宮市萩原町で生まれ、この地に昭和三十八年に芸能界デビューするまで生活していた実家がありました。

 

 

 

 

 


ちなみにこれは平成二十三年(2011)年に撮った写真。まだこの頃はあったんですけどね。今ではユニヴァリィフナキというアパートになっています。

 

 

>>舟木一夫生家跡の地図

 

 

 

 

 

 

萩原町郷土資料館

 

 


記事が前後しますが、線路を渡る手前に萩原町郷土資料館があります。内容はほぼ舟木一夫さんの展示で、別名・舟木一夫記念館とも。

 

 

ファンには必見ですね。毎月第四日曜日のみ開館。

 

 

>>萩原町郷土資料館の地図

 

 

 

 

 

 


商店街の中を横断する県道136号線は、かつての巡見街道跡です。萩原下町の信号交差点を南北に通っている道です。

 

 

江戸幕府が地方の政治や民情を探るために全国に張り巡らせた道です。隠密(おんみつ)なども通ったのでしょうか。

 

 

 

 

 

 


大正レトロな建物は旧萩原郵便局。

 

 

 

 

 

 


現在の萩原商店街の様子。この雰囲気、いいなあ〜。昭和の商店街みたいな空間が広がっています。

 

 

 

 

 

正端寺


まっすぐ伸びていた美濃路は正端寺(しょうずいじ)の前で直角のL字に曲がります。この曲がり具合が不自然で意図的に曲げたのでは?と思うくらいです。

 

 

実はこの直角、軍事的に敵を側面から攻撃するための曲がりでは?という指摘があるんです。

 

 

東海道・岡崎宿の二十七曲がりほどではありませんが、この直角も意識して見てみましょう。

 

 

 

 

 

本陣問屋場跡


萩原宿の問屋場(といやば)跡。現在は駐車場、民家になっています。問屋場とは各宿場にあった運送業の本部(本店)みたいなものです。

 

 

 

 

 

 


こちらは本陣跡。大名や公家、幕府要人が泊まる施設です。

 

 

 

 

 

屋根神様

 


沿道の民家を見てみると、1軒の家に屋根神様(やねがみさま)が祀ってありあしました。

 

 

屋根神様は名古屋、尾張北西部で広まったもので、今でも旧街道沿いの民家などで見ることができます。

 

 

名古屋の四間道(しけみち)、押切、清洲あたりで見ましたが、萩原宿にも残っているんですね。

 

 

 

 

 

チンドン祭り

 


萩原宿がある萩原町商店街では、毎年5月にチンドン屋の全国大会ともいえる、チンドン祭りが開催されます。

 

 

今でも現役で活躍しているチンドン屋の皆さんが全国から集まり、スポンサーとなった商店街の各店のPRをしながら商店街を練り歩きます。

 

 

またその他パフォーマンス団体も参加したりで、旧萩原宿がものすごく盛り上がる1日なのです。

 

 

>>萩原チンドン祭り | 愛知県の公式観光ガイド

 

 

 

 

 

 


萩原町を含む一宮市で有名なのこぎり屋根。これはかつて繊維の工場で、太陽の光を入りやすくするために窓を直角に作り、結果、ギザギザになったというもの。

 

 

 

 

 

天神の渡し


萩原宿を出て歩いていると、天神神社の前に天神渡し跡の石碑を発見!ここはかつて天神の渡しという、船着き場があった場所です。

 

 

一宮市教育委員会によると、天正十九年(1591)と推測される、豊臣秀吉四奉行の連署があるのですが、そこには年60石の船頭給(せんどうきゅう:船主への給料)が与えられていたそうです。

 

 

でも、『こんな内陸で船渡し?さらに日光川って小さく細い川でしょ?』という疑問が出てきました。

 

 

しかし結論から言うと、現在の地形は度重なる洪水によってできたもので、戦国時代や江戸時代は今とは想像もつかない地形でした。

 

 

 

 

 

 


天神神社から東南方向にもうひとつ天神神社があります。(萩原町萩原字松山)

 

 

実はこの2つの天神神社は川の両岸の船着き場だったのです。直線距離で約480m。

 

 

つまりもともとはこれだけ広い川幅でしたが、度重なる洪水で土砂が流れてきて、川が狭くなったということです。

 

 

濃尾平野の歴史は洪水の歴史とも言われています。だから今流れている川も江戸時代やそれ以前の戦国時代とは、川筋が変わっているのかもしれませんね。

 

 

>>天神の渡し跡の地図

 

 

 

 

 

冨田一里塚


美濃路に残る国指定史跡の冨田一里塚(とみたいちりづか)。両側に塚と榎(えのき)が残っているのは、美濃路ではここだけです。

 

 

>>冨田一里塚の地図

 

 

 

 

 

 


現地案内看板の地図を見てみると、萩原宿と起(おこし)宿の間に有るのが分かりますね。美濃路でもちょうど真ん中くらいでしょうか。

 

 

 

 

 

 


反対側の一里塚も良好に残っています。

 

 

 

 

 

 


現地看板にある昭和十五年(1940)頃の冨田一里塚。規模的にはこの頃からあまり変わっていませんね。

 

 

 

 

 

 


一里塚近くの道標。手前のものが左おこし道。奥で見えませんが、右つしま道と書かれています。

 

 

 

 

 

 


左 駒塚道と刻まれた石碑。享保十一年(1726)、美濃駒塚領主・石河(いしこ)正章が、名古屋への参勤のために渡船場と共に開いた街道です。

 

 

>>駒塚道の石碑の地図

 

 

 

 

 

 

正徳寺跡

 


駒塚道を進むと木曽川方面に行くので、県道129号・一宮津島線に出るのですが、この通り沿いに聖徳寺跡の石碑があります。

 

 

聖徳寺は戦国時代の天分二十二年(1553)、美濃国の大名・斎藤道三と尾張の織田信長が会見した場所です。

 

 

現在では石碑と簡単な案内板くらいしか残っていませんが、戦国時代が好きな人にはオススメのスポットです。

 

 

>聖徳寺跡の地図

 

 

 

 

 

攻略ポイントと感想

今回のコースを電車で行くなら、名鉄・萩原駅で降りて、帰る時は市バスや名鉄バスを利用するとよいです。

 

 

もしくはこのまま次の起(おこし)宿を楽しみ、木曽川を渡って名鉄・竹鼻線の駅から帰るというのもアリですね。

 

 

私の感想ですが、萩原商店街は石碑もチラホラあり、また冨田一里塚は珍しく両方残っている一里塚なのでこれは見ておくことをオススメします。

 

 

また天神の渡しも2つの天神神社の距離を意識しながら歩くと、かつての日光川の規模を実感できますよ。

 

 

電車、バス共にあまり便利ではありませんが、楽しめるコースだと思います。

 

 

関連ページ

宮宿
美濃路・宮宿を訪れた時の体験レビュー記事です。宮宿から名古屋宿までの見どころや観光ポイントを私の感想とともに書いています。
名古屋宿
美濃路が通っていた名古屋宿を歩いたレビュー記事です。名古屋城下で栄えた宿場で、四間道や堀川、大須商店街、枇杷島橋などの見どころがあります。私の体験を元に感想も書いています。
清須宿
愛知県清須市に残る美濃路は、かつて織田信長の居城・清洲城があったところです。この記事では清須宿のアクセス方法や見どころなどの観光ポイントを私の感想と共に書いています。
稲葉宿
美濃路・稲葉宿に行ってきた時の体験レビュー記事です。近くには織田信長ゆかりの六角堂やはだか祭りで有名な国府宮神社などがあります。アクセス方法や私の感想も書いています。
起宿
美濃路・起宿の体験記です。木曽川沿いにある起宿は現存の脇本陣やかつての渡船場、そして船橋跡が残っています。アクセス方法や観光ポイントを私の感想とともに書いた記事です。
墨俣宿
美濃路の宿場・墨俣宿を訪れた時の体験レビュー記事です。アクセス方法や見どころ、そして観光ポイントを私の感想と共に書いています。
大垣宿
美濃路大垣宿の体験レビュー記事です。水都といわれるほど水が豊富な大垣は大垣城のほか松尾芭蕉の奥の細道が完結した結びの地としても有名です。この記事では大垣宿の観光ポイントや見どころを私の感想と共に説明しています。
垂井宿
垂井宿の体験レビュー記事です。中山道と美濃路が交差する垂井宿は松並木や旧旅籠屋の亀丸屋が特徴的な宿場町。また南宮山への鳥居や関ケ原合戦ゆかりの垂井城跡など垂井宿の観光名所を私の感想と共に説明しています。

ホーム RSS購読