美濃路名古屋宿 | 大須観音など名古屋城下で栄えた宿場町
宮宿で東海道と分岐して美濃路を北上します。目指すは美濃路最大の宿場町・名古屋宿です。
国道22号・古渡町信号を抜け、右に入ります。ここが名古屋宿の入り口である橘町大木戸(たちばなちょうおおきど)跡です。
道を入ると橘町の大木戸(おおきど)跡があります。ここは簡単に言うと名古屋宿の入り口跡です。つまり城下町の入り口。そのまま、まっすぐ歩くと本町通りを経て名古屋城に着きました。
現地案内看板より。江戸時代は賑わっていたようです。
現在の橘町大木戸の様子。人通りはあまりないですね…
市バスのバス停の名前も橘町大木戸。
栄国寺に千人塚という墓があります。ここは寛文四年(1664)に200人のキリシタンを処刑した場所です。
しかしそれ以前の慶安二年(1649)の名号碑もあることから、寛文四年以前にもこの地で処刑が行われていたと思われます。
美濃路から1本左の道に逸れると日置神社があります。ここは永禄三年(1560)の桶狭間合戦前に織田信長が戦勝祈願した神社です。
合戦後、信長は戦勝のお礼に千本松を植えました。
美濃路を歩いていると、何やら大きなアーチが出てきました。これは大須商店街のアーチ。
大須(おおす)とは、名古屋城が築かれた時に作られた城下町で、今でも名古屋市、そして愛知県では有名な商店街です。
建久年間(1190〜99)に創建されたといわれる大須観音は、もとは尾張国長岡庄大須郷(現在の岐阜県羽島市大須)にありました。
慶長十七年(1612)に徳川家康の命令により、犬山城主・成瀬正茂が現在の場所に移します。それ以後、大須観音周辺は門前町としても栄えました。それが現在の大須商店街です。
大須商店街は一言でいうと、良い意味での古さと新しさが一体になった町。
戦国武将だった織田信長の父・織田信秀の菩提寺の万松寺もあれば、パソコン関連のショップやファッションの店も並ぶという、少し不思議な空間です。
私も大須が好きで、何度も遊びに行ったことがありますが、今回の街道ウォークで始めて気がついたのは、美濃路が大須商店街を貫通しているということ。
つまり名古屋城の城下町入り口から名古屋城に向かう途中にある、繁華街だったというワケです。
若宮大通りを抜けます。もうだいぶ前ですが、よく遊びに来た町です。かつての美濃路がここをを通っていたとは知りませんでした。
大須商店街を抜け、美濃路をそのまま歩いていると、やたら信号名に本町という名前を見ます。
例えば万松寺通本町、若宮大通本町、入江町通本町など。実はこの道はその名前の通り、本町通(ほんまちどおり)なのです。江戸時代には大店はほとんど、この道路沿いに店を構え、東照祭の山車や朝鮮通信使のが通ったのもこの道でした。
城下町の入り口である、大木戸からほぼ真っすぐ歩いて来ましたが、美濃路は伝馬町通本町の信号で左に曲がります。これが札の辻です。
この周辺に高札場が立ち、、名古屋宿の中心地でもありました。
古地図で示すとこうなります。赤線が美濃路。古地図を下(南)から北上し、青の矢印が札の辻なのでここで左(西)に曲がります。
繊維街として有名な長者町。もとは清須(清洲)にあった町名で、清洲越しで名古屋に移りました。
美濃路は22号線の伏見通りに出ます。まっすぐ進みたいのですが車道で進めないので、近くの歩道橋を渡って迂回します。
伝馬橋東の信号が見えてきたあたりから、美濃路はどんどん下がります。実はこれ、名古屋台地の高低差なのです。
簡単に言うと名古屋城、城下町、熱田神宮は大きく細長い台地の上にあり、その台地の外、つまり台地から降りる形で美濃路が通っているのでこの高低差があります。
伝馬橋東の信号を越えると(下ると)、大きな川があります。これは堀川といって、名古屋城の西側を守る人工の水堀です。
名古屋城が築かれた時に福島正則を総奉行として掘らせた水堀で、戦がない時は熱田湊から名古屋城や城下町に物資を運ぶ水の道、つまり運河として利用されました。
美濃路から約600m、徒歩10分くらいの納屋橋(なやばし)近くに、堀川を掘った福島正則の銅像があります。
福島正則は現在の愛知県あま市の出身の大名で、豊臣秀吉の家臣として各地を転戦。清洲城主を経て安芸広島城主になりました。
伝馬橋を渡りすぐに右に曲がります。
すると右手には堀川に架かっていた中橋跡があり、案内看板も建っています。
中橋の北にある五條橋(五条橋)は、もとは清洲城の近くにあった橋ですが、清洲越しの際に名古屋に移された橋です。
清洲越しとは名古屋城完成後の慶長十七年(1612)〜元和二年(1616)に行われた【首都】の引っ越し。尾張の中心地だった清洲の武家屋敷、寺社、橋、町屋、門までを移転し、結果として名古屋は栄え清洲は荒野となった。
現地案内看板にあった尾張名陽図会にある、江戸時代末期の五條橋の様子。船と人が行き交い、川辺には蔵が立ち並んでいますね。
五條橋ふもとには、最近作られた美濃路の道標があります。
北 垂井宿 中山道というのが、今回私が進んでいる方向です。
美濃路は堀川沿いを通っていますが、その1本西側は四間道(しけみち)と呼ばれる通りです。
この周辺は清洲越しで移ってきた商人たちの町で、元禄十三年(1700)の大火後、消防や流通のために道幅が四間(約7m)に広げられたため、この名前が付きました。
現在では蔵通りみたいになっており、古い商家や民家、またそれらを再利用したカフェなどがあります。
四間道周辺の民家を見てみると、2階建て家屋の1階屋根に祠(ほこら)がある建物を見かけます。これは屋根神様(やねがみさま)です。
屋根神様とは、名古屋市や尾張地区で見られる民間信仰の神様で、津島神社、秋葉神社、熱田神宮などの神様を祀っています。
円頓寺商店街は四間道近くにある、円頓寺の門前町みたいな商店街。名古屋ではちょっとした観光地になっており、街道ウォークの際にもランチや休憩で活用できる商店街です。
円頓寺本町商店街に渡る信号交差点には、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、水戸光圀(水戸黄門)の銅像があります。
たまにイタズラされたり、コロナウイルスの時にはマスクかけたりと、何かと話題になる銅像です。
円頓寺商店街からさらに北上しています。写真は名古屋市立なごや小学校。実はこの小学校の中央を美濃路が通っていました。
というより、美濃路の上に小学校を建てました、といったほうが正しいのでしょうか?
今では学校の中は通ることができないので、外側を迂回するしかありませんが、学校の壁に美濃路の看板が貼り付けてあります。
なごや小学校を抜け、国道22号線を渡ると美濃路に戻ることができます。写真は樽屋町の大木戸跡。つまり名古屋城の城下町の出入り口です。
今回は橘町・大木戸から城下町に入ったので、樽屋町・大木戸は出口になります。江川どんぐり広場の前に案内看板も建っています。
現地看板には、東京国立博物館所蔵の五海道其外分間絵図並見取絵図が使われており、樽屋町大木戸の様子がハッキリと分かります。
家が密集しており、街道の両端に門みたいな生垣の様なものがありますね。またこの近くに江川一里塚がありましたが、現在では何も残っていません。
ちなみに今ではこんなカンジで普通の住宅街。ただ両方向に伸びるまっすぐな道(美濃路)は、絵図と同じです。
美濃路の途中にある押切神社。
実はこの押切神社も永禄三年(1560)の桶狭間合戦時、織田信長が戦勝祈願した神社なのです。
桶狭間合戦の時、清洲城から出陣した織田信長は、熱田神宮で戦勝祈願をしたという話は有名ですが、熱田神宮以外にも数カ所で戦勝祈願をしています。
日置神社もそうですが、この押切神社でも祈願し、さらにほか数箇所でも戦勝祈願している話は、あまり知られていません。
美濃路沿いの民家の前に建つ尾州殿茶屋跡。ここはかつて尾張藩と関係を持つ要人の接待所です。宿泊施設ではなく、休憩できる茶屋ですね。
今では普通の民家なので地図は貼りますまい。
再び屋根神様です。今度は美濃路沿いで発見。
美濃路は土手みたいなところに出ました。この先は庄内川(しょうないがわ)で、これはその堤防です。
美濃路があった時代もここには枇杷島橋が架けられていました。
尾張名所図会にある枇杷島橋。庄内川にはかつて中島があり、川の東西に中島を中継して2本の橋が架かっていました。
枇杷島橋は檜材だけを使用した大きな橋で、眺望も良く、多くの旅人が往来する名古屋の名所でした。
ちなみに現在ではコンクリート製の枇杷島橋が架かっていますが、江戸時代の枇杷島橋はもう少し東側にありました。
それでは現在の枇杷島橋を渡ります。庄内川の向こうは清須市です。
攻略ポイントと感想
今回のコースは名古屋城の城下町をたっぷりと楽しむことができると思います。
電車を利用する場合、地下鉄なら名城線・東別院駅。名鉄線なら山王駅。帰りは名鉄・東枇杷島駅がよいでしょう。
私の感想ですが、散策コースもいろんなところに案内看板が建っているので分かりやすかったです。
また熱田台地の高低差や三河では見ない屋根神様など、街道ウォークの楽しみがタップリの散策でした。
今回は名古屋城の中には入っていませんが、街道ウォーカーの方は城下町だけのコースでも十分に楽しめると思います。
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