追分とは何の意味?街道の分岐点です!東海道と姫街道で解説

追分とは何の意味?街道の分岐点です!東海道と姫街道で解説


豊川市の国府駅周辺を歩いていると追分(おいわけ)という信号名があります。これは街道から別の街道が分岐する場所という意味です。

 

 

この信号の南を東海道が通っており、姫街道(本坂通)との分岐します。その場所が追分です。東海道は浜名湖の下(南)を通る道で、姫街道(本坂通)は浜名湖の上(北)を通る道で、浜松方面に抜けることができました。

 

 

街道の追分の解説図
江戸時代に整備された街道はいくつもあり、分岐と合流する場所がいくつかあるのです。その分岐点が追分という意味ですね。

 

 

 

明治時代の道標。秋葉山可睡斎と砥鹿神社へ向かう道をしてしている
また姫街道に向かうことで有名なスポットはこちらみたいな石碑もあります。

 

 

砥鹿神社とは三河国一宮(豊川市一宮町)。秋葉山三尺坊大権現道とは、秋葉山の総本社・秋葉神社(静岡県浜松市天竜区)のこと。

 

 

東海道から見ると姫街道(本坂道)に分岐して、砥鹿神社に向かうこともできるし秋葉神社に向かうこともできますよという意味です。

 

 

街道ウォーキングだけではなく、普段車を運転していて信号待ちになった時、ふと信号名を見て追分と書いてあったら、昔の街道の分岐点だなということです。

関連ページ

東海道御油宿の旅籠で働いていた飯盛女の墓が残る豊川市東林寺
愛知県豊川市の東林寺は、かつて東海道御油(ごゆ)宿で働いていた飯盛女の墓が残る寺です。この記事では東林寺へのアクセス方法のほか、飯盛女の墓の場所や状態を私の感想とともに書いてみました。
可愛く見える豊川市菟足神社は実は怖い逸話があった!生贄の子だが橋とは
愛知県豊川市の菟足神社にまつわる生贄の橋、こだが橋について説明した記事です。
樹齢800年の楠がある豊川市赤坂町の関川神社
豊川市赤坂町の関川神社に関するページです。東海道沿いにあり樹齢800年の楠もある関川神社は松尾芭蕉の句碑も建立されています。
歌川広重の浮世絵に描かれているソテツが豊川市浄泉寺に現存していた!
東海道赤坂宿のレビュー記事です。歌川広重が浮世絵に描いているソテツが現存しており、その現地へ行ってきた体験記を書いています。

ホーム RSS購読