歌川広重の浮世絵に描かれているソテツが豊川市浄泉寺に現存していた!

歌川広重の浮世絵に描かれているソテツが豊川市浄泉寺に現存していた!

豊川市玉清山浄泉寺
豊川市玉清山浄泉寺は、かつての東海道赤坂宿にある寺院。歌川広重の浮世絵・東海道五拾三次之内 赤阪 旅舎招婦ノ図(とうかいどうごじゅうさんつぎのうち あかさか・りょしゃしょうふのず)に描かれているソテツが移され現存しています。

 

 

浄泉寺の場所の住所

豊川市赤坂町西裏88

 

>>浄泉寺の地図

 

 

 

 

りょしゃしょうふのず とは


東海道五拾三次之内 赤阪 旅舎招婦ノ図(とうかいどうごじゅうさんつぎのうち あかさか・りょしゃしょうふのず)とは、江戸時代に歌川広重が描いた浮世絵です。

 

当時の赤坂宿にあった庶民の宿・旅籠の様子を描いたものですが、この中心に大きなソテツがあります。じつはこのソテツ、現存しておりそれが豊川市浄泉寺に移されているのです。

 

 

 

浄泉寺の歴史

豊川市浄泉寺の歴史

浄泉寺

 

 寺伝によれば浄泉寺はもと真言宗浄教寺と称し、赤坂町西裏の山稜にあったといいます。その後、京都の浄土宗西山深草派総本山誓願寺五十三世中興開山教山善誉上人(長沢の松平親常の子)が故郷に帰住するに際し、天正十六年(1588)に阿弥陀仏を安置し、浄土宗浄泉寺を興したと伝えられてます。

 

 山門を入った右手には、寛文九年(1669)再建の薬師堂、境内左側の観音堂には百観音と呼ばれる石仏が並び、赤坂の古い歴史を今に伝えています。また境内には大きなソテツの木がありますが、歌川広重の浮世絵『旅舎婦ノ図』(りょしゃしょうふのず)に描かれたソテツとも伝えられます。

 

豊川市教育委員会

 

 

 

そして境内

豊川市浄泉寺の寛文九年(1669)再建の薬師堂
説明板にある寛文九年(1669)再建の薬師堂。江戸時代中期の建物です。

 

 

 

豊川市浄泉寺の百観音
こちらは百観音。これだけの観音様が安置されている寺院も珍しいです。

 

 

 

ではメインのソテツ


では今回のメインである歌川広重の浮世絵に描かれている蘇鉄(そてつ)を拝見。架空ではなく現存のソテツなのです。それがこちら!

 

 

 

歌川広重の浮世絵に描かれている豊川市浄泉寺のソテツ
なんか大きいぞ??まあ、浮世絵の時代から数百年経ってますので成長したということですかね?それはともかく浮世絵の面影は全くありません…

 

 

 

豊川市のマンホール
私の感想ですが、東海道ウォーキングで赤坂宿を訪れる時にはチェックしておいてほしいソテツだと思います。まあ、浮世絵とはかなり違うのですけれど。立ち寄りやすい場所にありますので是非、浄泉寺に参拝してみてください。

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