往還松ともいう東海道の松並木を設置した理由そしてどこに残ってる?
東海道のイメージと言えば松並木ですね。でもなぜ東海道を始めとする街道は道の脇に木を植えてあるのでしょうか?
この記事では松並木を植えた理由と歴史、そしてどこに残っているかを私の住んでいる愛知県(尾張、三河)の例で説明します。
歩きやすくするためです
並木の歴史は古く、一節によると天平宝治三年(759)、東大寺の僧・普照(ふしょう)の提案によって、街道の両側に果樹を植えたのが始まりという説があります。
なぜ植えたのかという理由ですが、街道を行き交う旅人を歩きやすくするため。木々があると夏の日除けになり、冬は風を凌ぎ防寒にもなるからです。
関ケ原合戦後、江戸時代には徳川家康が大久保長安に命じ、五街道に松並木を植えさせました。
御油、藤川、安城〜池鯉鮒(知立)です
東海道松並木はどこに残っているのか?愛知県を例に東から見てみましょう。まずは御油(ごゆ)の松並木。
御油宿〜赤坂宿の間にあります。東海道中膝栗毛のなかで、弥次郎兵衛と喜多八がキツネに化かされた話が描かれているのですが、その場所が御油です。
次に藤川宿を過ぎて岡崎宿に向かう途中に藤川の松並木があります。長さは約1km、約90本の黒松が並んでいます。
岡崎宿から池鯉鮒(ちりゅう)宿に向かう途中、安城市の旧東海道にも松並木がありますが、これはほとんどが再現のための植樹です。
しかし距離が長く、場所によっては集中して松を植えてあるために見応えはありますね。
池鯉鮒(知立:ちりゅう)宿に入る直前に池鯉鮒の松並木が残っています。ここでは定期的に馬市が開催されており、馬を繋ぐために松の木を利用したそうです。
個人的にはこの知立の松並木も見応えがあると思います。
電車でアクセスする場合、名鉄名古屋本線・牛田駅で降り、知立駅で帰れば、知立の松並木と旧知立宿を同時に楽しむことができます。
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