宿場の本陣、脇本陣、旅籠屋、木賃宿の意味とは?違いは何?
宿場(しゅくば)とは今の言葉で分かりやすく言うと、街道上にあった旅館街です。
また宿泊施設もいくつかの種類がありました。今回は宿場の宿の種類はどんなものがあったのかをチェックしてみましょう。
本陣とは宿場の中で一番格式が高い宿泊施設です。休憩のためにも使われました。大名、公家、幕府要人といった身分の高い人専門の宿。
各宿場には宿場の規模に応じて1〜3つの本陣があり、宿場の有力者が運営を行っていました。
原則として平屋建てで、他の旅籠屋と違い、門、玄関、上段の間などを作ることが許されていました。
現存する本陣は、東海道だと滋賀県の草津宿、愛知県の二川宿のみです。
脇本陣とは本陣の次に格式が高い宿泊施設です。今の言葉でわかりやすく言うと、副本陣、準本陣みたいなものです。
脇本陣は本陣の補助的宿舎で、参勤交代などで複数の大名家が同じ宿場に泊まる時、本陣の代わりに大名の宿舎になりました。
脇本陣も本陣同様、宿場での有力者が管理・運営をし、門、玄関、上段の間などを作ることが許可されていました。
でも本陣との大きな違いは、脇本陣は大名などの利用がない場合、一般客(庶民)でも宿泊できたという点です。(そのかわり一般の旅籠より割高だったのかもしれませんが)
東海道で唯一現存している脇本陣は、静岡県浜松市の舞阪宿にあります。
旅籠屋(はたごや)は一般人の庶民が泊まる宿泊施設。共同旅館です。基本、1泊2食付き。
中には6畳、8畳くらいの部屋がいくつもあり、相部屋が当たり前でした。本陣と違い2階建ての建物が多かった様です。
東海道だと新居宿の紀伊国屋、二川宿の晴明屋、赤坂宿の大橋屋(鯉屋)が資料館として有名な現存旅籠屋です。
客が米を持参し、薪(まき)代を払って米を炊いてもらう、もしくは自炊する宿。
江戸時代以前の宿は木賃宿が基本でしたが、江戸中期になると庶民の生活も安定し、旅行に出るものが増えたため、1泊2食付きの旅籠屋がメインになります。
また天保年間(1830〜44)くらいになると、旅籠屋の宿泊料金は木賃宿の5倍以上にもなりますが、治安も比較的旅籠屋のほうが良いとされ好まれました。
その後、木賃宿は安宿の代名詞みたいになってしまい、場所の宿場の外、もしくは外れなどにありました。
私の感想ですが、本陣、脇本陣、旅籠屋、木賃宿の違いを知っておくと、街道ウォークの時に現地の看板も分かりやすいと思います。
また現存、もしくは復元されて資料館になっているところもあるので、見つけたら有料でもチェックしておくことをオススメします。
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