東海道白須賀宿 | 地震と津波で消滅した歴史がある宿場

東海道白須賀宿 | 地震と津波で消滅した歴史がある宿場

東海道白須賀宿 | 地震と津波で消滅した歴史がある宿場

 

 

静岡県湖西(こさい)市にある東海道白須賀宿は江戸・日本橋から数えて32番目の宿場町です。また東(江戸方面)から歩くと静岡県最後の宿場町でもありますね。

 

 

 

 

 

 

もくじ

 

 

 

 

 

 

移転した宿場

 


白須賀宿はもとは遠州灘の海沿いにあった宿場です。しかし宝永四年(1707)の地震と津波で大半の家が流出してしまい、近くの高台に宿場ごと移転されました。

 

 

新居宿から歩く時、最初に宿場があった元白須賀を抜け、潮見坂を登り、移転後の白須賀宿を歩きます。

 

 

 

 

 

 


新居宿を抜けて西へ向かうと松並木が再現されています。東海道ですが地元では浜名旧街道とも呼んでいます。

 

 

 

 

 


新居宿と白須賀宿の間にある立場(たてば)。立場とは宿場の間にある休憩所。旅人や人足、駕籠かきなどが休息をとっていた場所です。

 

 

立場では旅人を見ると茶を勧めたので、ある大名が『立場立葉と水飲め飲めと、鮒や金魚じゃあるまいに』と戯れ歌(ざれうた)を詠んだという話が残っています。

 

 

>>立場跡の地図

 

 

 

 

 


火鎮(ほずめ)神社は五穀豊穣、農業の神で徳川家康や庶民の崇敬を集め栄えました。

 

 

>>火鎮神社の地図

 

 

 

 

 

 

元白須賀


内宮神明神社の近くの民家前に白須賀一里塚跡の石碑と高札建場跡の石碑が並んで建っています。

 

 

この辺りが最初に白須賀宿が置かれた元白須賀、現在は元町と呼ばれている場所です。

 

 

>>元白須賀一里塚と高札場跡の地図

 

 

 

 

 


今では静かな風景が広がっています。

 

 

 

 

 

 

蔵法寺の潮見観音


蔵法寺は潮見観音で有名な寺院です(画像は外にある観音像)。

 

 

江戸時代、漁師の網にかかった観音像を安置したのが蔵法寺で、小高い丘の上から遠州灘を見守ることから潮見観音と呼ばれました。

 

 

宝永四年(1707)、備前岡山の大名・池田綱政が白須賀宿に泊まった時、夢枕に観音様が立ち、『早くこの地を去れ』とお告げがありました。

 

 

夜半、急いで白須賀宿を出発した一行は、津波の被害を避ける事ができたのです。

 

 

>>蔵法寺の地図

 

 

 

 

 

 

潮見坂


白須賀宿の人気スポットといえば潮見坂(しおみさか)です。

 

 

ここは簡単に言うと、海辺の元白須賀(元町)から、地震後に移転された白須賀宿へ上がる坂。

 

 

歌川広重の東海道五十三次の白須賀宿にもこの潮見坂が描かれています。

 

 

 

 

 

 


現地案内看板にあった潮見坂。これが現代の風景になると…

 

 

 

 

 

 


これが現代の風景。木だの電柱だの建物があったりで浮世絵とは少し違いますが、江戸時代、ここからの風景を旅人も楽しんだのでしょう。

 

 

ちなみに潮見坂は約600mほどで、所要時間は15〜20分で上まで登る事ができますが、私の感想ですが急勾配なのでゆっくり登ることをオススメします。

 

 

>>潮見坂下の地図

 

 

 

 

 

 


潮見坂の途中にある、うない松跡。今川義忠(義元の祖父)の墓の上に植えられた松といわれています。

 

 

 

 

 

 

おんやど白須賀


潮見坂を上がりきったところにある、おんやど白須賀。無料の資料館&休憩所です。

 

 

中はスタッフが在中しており、白須賀宿の歴史などの展示もあります。潮見坂の後はここで少し休憩を取るとよいです。

 

 

>>おんやど白須賀 | 湖西市観光振興協議会

 

 

 

 

 

 

潮見坂公園


おんやど白須賀で休憩後、再び西へと歩いていきます。ここは湖西市立白須賀中学校前にある潮見坂公園。

 

 

公園といっても道の脇にある広場みたいな場所なので、見落としやすいです。

 

 

ここは天正十年(1582)、甲斐(山梨県)の戦国大名・武田勝頼を滅ぼした織田信長が凱旋する時、同盟者であった徳川家康が茶亭を新設してもてなした場所です。

 

 

また明治天皇が明治元年に東京へ行幸される時、東海道を通りはじめて太平洋をご覧になった場所もこの潮見坂上と言われています。

 

 

 

 

 

 


現在の風景♪

 

 

 

 

 

 


移転後の白須賀宿。高台の宿場跡ですね。

 

 

 

 

 

 


東海道沿いの民家を見てみると、かつての建物のプレートが建っています。これプレートがあるだけで、かつての宿場が想像できます。

 

 

 

 

 

 


白須賀宿の曲尺手(かねんて)跡。

 

 

曲尺手とは折れ曲がった道のことで、軍事上、敵を側面から攻撃するためとか、参勤交代で大名行列がいきなり出会うのを防ぐための工夫などといわれています。

 

 

東(新居宿や元白須賀)からこの曲尺手に来た場合、曲尺手から先は地形が下がっています。

 

 

 

 

 

 


白須賀宿本陣跡。本陣とは宿場で一番格式が高い建物で、大名、公家、幕府要人など身分の高い人達が宿泊、休憩した施設。

 

 

元治元年(1864)の記録では、本陣の運営は大村庄左衛門で、建坪183坪、畳敷き231畳、板敷き51畳だったとのこと。

 

 

この本陣は明治天皇も休憩された場所です。

 

 

>>白須賀宿本陣跡の地図

 

 

 

 

 

 


本陣の次に格式が高いのが脇本陣。白須賀宿では桐谷という屋号でした。現在は駐車場になっています。

 

 

>>白須賀宿脇本陣の地図

 

 

 

 

 

 


江戸時代後期の国学者・夏目甕麿(なつめみかまろ)の屋敷跡で、加納諸平(かのうもろひら)の生誕地も白須賀宿にあります。

 

 

>>夏目甕麿邸跡の地図

 

 

 

 

 

火防の槇


民家に火防の槇が残っています。

 

 

宝永四年(1707)の地震と津波後、高台に移転した白須賀宿は、須波の被害は心配無くなりましたが、高台ゆえの強風と火事が課題になりました。

 

 

そこで防火のために火に強い槇(まき)が植えられ、現在に残っています。

 

 

 

 

 

 

加宿・境宿


宝永四年(1707)の津波以前、この高台には加宿として境宿がありました。

 

 

加宿(かしゅく)とは簡単にいうと、規模の小さな宿場の業務を手伝う隣接した村のこと。津波以前は加宿でしたが、津波後に白須賀宿が移転してくると一体化みたいになりました。

 

 

 

 

 

 


成林寺近くの境宿公会堂あたりが宿場の出口。

 

 

 

 

 

 


移転した白須賀宿の高札場跡。西の外れにあります。

 

 

江戸時代、白須賀宿の名物は柏餅ですが、これは戦国時代に豊臣秀吉がこの周辺で餅を食べ戦に勝利したことが由来になっています。

 

 

>>白須賀宿高札場の地図

 

 

この高札場跡より西に進むと、かつての三河と遠江の境界、そして現在の愛知県と静岡県の境である、境川(さかいがわ)があります。

 

 

 

 

 

攻略ポイントと私の感想

今回のコースを電車を使って歩くなら、JR新居町駅で降り、愛知県のJR二川駅まで通しで歩く事になります。

 

 

その理由は途中に電車の駅が無いからです。

 

 

さて、静岡県最後の宿場となった白須賀宿の見どころは、なんといっても潮見坂と潮見坂公園でしょう。

 

 

できれば晴れた日に歩きたいです。

 

 

あと、おんやど白須賀は貴重な休憩所&資料館なので、必ずチェックしておきたい施設だと思います。

 

 

 

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