東海道舞坂宿 | 松並木と弁天島そして浜名湖を望む3つの雁木
浜松宿を出て西へ向かっています。目指すは日本橋から数えて30番目の宿場・舞坂宿です。
舞坂宿(現在では舞阪)の松並木。これらの松並木は東海道の整備が始まった慶長九年(1604)、江戸幕府が街道を行き交う人々の防寒や避暑のために街道の両側に松や杉を植えさせたことが始まりです。
一番多かった時は1,400本以上の松が植えられた記録がありますが、現在では約370本の松が植えてあります。それでも松並木は約700mほどあるので歩き甲斐があります。この松並木を抜けて国道1号線ると舞坂宿です。
ちなみに松並木の中央は車道で普通に車が通ります。歩く場合は両側の歩道を歩きましょう。
松並木周辺の海抜。海の近さを感じます。
国道1号線を渡ると看板がありました。これに沿って歩けば舞坂宿跡です。
舞坂宿の東端にある見附(みつけ)の石垣。見附とは簡単にいうと番所、見張り場の事。今でいうと警備員がや警察がいる詰所みたいな場所です。
宿場に入る人達を監視したり、大名行列が通る時は六尺棒を持った番人が行列の邪魔をする輩がいないか警護する場所でした。
この見附の石垣がいつごろ築かれたのか詳細はわかりませんが、宝永六年(1709)の古地図にはすでに存在しています。
おそらくは道の両脇にあったのでしょうが、現在は片方のみです。ここから先が舞坂宿です。
東見附から約50mのところにある舞坂一里塚と常夜燈。
まず一里塚は江戸・日本橋から68里(約267km)に位置し、塚の上には松が植えられていました。もとは道の両側に塚があったのですが、現在では片側に石碑のみです。
そして常夜燈は文化六年(1809)元日、舞坂宿の大半を焼く火事が起き、その後、火防(ひぶせ)の秋葉信仰が広まり建てられました。
現在舞坂宿では3基の常夜燈が残っています。
現在の東海道舞坂宿です。海辺の町だけに潮の香りがします。
お土産はこれで♪
本陣とは宿場で一番格式が高い宿泊施設のことで、主に大名や公家など江戸時代の要人が泊まりました。
舞坂宿の本陣があった場所は現在民家になっており、石碑が建つのみです。
脇本陣(わきほんじん)とは、本陣に次ぐ格式が高い宿泊施設。今の言葉でいうと、副本陣、準本陣といえば分かりやすいでしょうか。
脇本陣は参勤交代などで本陣利用が重なった場合は、本陣の代わりとして利用されました。
しかし大名や公家など要人の宿泊予約がない場合は旅籠屋(はたごや)として運営されており、庶民でも泊まることができたのです。
舞坂宿の脇本陣は茗荷屋(みょうがや)1軒のみでした。
脇本陣は現存のもので、解体修理後、資料館として平成9年にリニューアルオープンしています。
本陣、脇本陣を抜けると海へ出ます。船で渡ると次の宿場である新居宿。
舞坂宿では石の階段状になっている渡船場のことを雁木(がんぎ)と言い、南、本、北の3ヶ所の雁木がありました。
南雁木は主に荷物の積み下ろしに利用され、本雁木は一般人のための渡船場。そして北雁木は大名や幕府公人のVIPが利用しました。
中でも見ごたえがあるのが北雁木です。
北雁木は明暦三年(1657)〜寛文元年(1661)にかけて構築され、江戸時代に何度か修築されているものの、当時の石垣なども残っています。
北雁木は主に大名や幕府の要人、また公家などが利用した渡船場で、街道から水際まで石畳が敷き詰められています。これも当時もまま。
石垣の白い部分は昭和二十八年の台風で修復したものですが、それ以外は江戸時代の石垣です。
かつては船で渡っていた浜名湖(はまなこ)も現在では橋で渡ることができます。徒歩で浜名湖を渡る場合、遊歩道がありますが、これが浜名湖から離れるので、湖を眺めながら歩くことができないのが残念です。
向こうに弁天島の鳥居と、国道1号線の浜名大橋(バイパス)が見えますね。
JR弁天島駅前にある辨天神社(べんてんじんじゃ)。現在は陸続きにあるみたいに錯覚しそうですが、浜名湖と遠州灘の出入り口に浮かぶ島にあります。
攻略ポイントと私の感想
今回のコースを電車を使って歩くなら、JR東海道本線・舞阪駅で降り、弁天島駅まで歩くと便利です。個人的には浜名湖を満喫しながら新居駅を目指すのも良いと思います。
さて、私の感想ですが、東海道の沿岸のコースということで、季節と天気を選べば気持ちよく歩くことができると思います。
また松並木は歩道も整備されて歩くやすく、現存の舞坂宿脇本陣は貴重な建物といえるので、必ず中までチェックしてみてください。