佐屋街道万場宿 | 庄内川と新川に挟まれた万場川渡船で有名な宿場
岩塚宿を出て万場橋で庄内川を渡ります。目指すは佐屋街道二番目の宿場・万場(まんば)宿です!
と、言っても庄内川の向こう岸なんですけどね〜w
万場宿は佐屋街道が開設された嘉永十一年(1634)に置かれた宿場で、2年後の嘉永十三年(1636)に対岸の岩塚宿が置かれると、ふたつで1宿場となりました。
分かりやすく言うと、月の前半15日は岩塚宿が宿場となり、後半15日は万場宿が宿場になるのです。
しかし庄内川を渡る万場の渡しについては、万場宿側が管理を行いました。
万場橋を渡ると秋葉神社があります。この秋葉神社はかつて渡船場にあり、その渡船場は現在秋葉神社がある場所より南に100mくらい離れた場所です。
秋葉神社にある旧万場宿の看板。緑色が佐屋街道です。
これを見ると渡船場の南に宿場が広がっており、西に向けて現在の新川を渡る形になっています。
現地案内看板にある、尾張名所図会の万場川渡船。激しい雨の中を旅人たちを乗せた船が、万場川(現在の庄内川)を渡っています。
現在の佐屋街道・万場宿。かつて旅人で賑わった万場宿も、今では静かな住宅地になっています。
まっすぐ歩くと、国玉神社を過ぎたところから自然に右に曲がりますが、かつてここの高札場がありました。
佐屋街道を曲がると、かなり大きな石灯籠があります。光圓寺(こうえんじ)の石灯籠です。
石灯籠に圧倒されますが山門も立派です。
光圓寺の山門は織田信長と斎藤道三が会見した聖徳寺(しょうとくじ)から移されたものと伝わります。
光圓寺を過ぎて佐屋街道は再び真っ直ぐに北上します。たまに案内看板が建ってます。
佐屋街道は名古屋市から次なる海部郡大治町(おおはるちょう)へ。砂子高越にあるカフェドサンラークという喫茶店の駐車場前に高札場跡がありました。
佐屋街道は国道302号線バイパスをくぐり西へ向かいます。国道を渡ったすぐのところにある横井庄一記念館。外観は普通の民家です。
横井庄一氏は、太平洋戦争終了後、約27年にわたりグアム島で生き延びた旧日本兵。
横井氏が生活した様子などを現在記念館にして現在は日曜日のみ公開しています。
海抜。
七所神社を過ぎたところにポツンと立つ千音寺一里塚跡の碑。
風景に溶け込んでいて注意しないとよくわかりません。
時間があれば寄りたかった店。
佐屋街道は狐海道東の交差点で左(西)へ曲がります。
江戸時代、この周辺は民家も少なく、千音寺狐に化かされた話が残っています。また夜間の通行人が持つ提灯が松並木の間から狐火のようにも見えたとか。
この地名もそういったところから付いたのでしょう。
ちなみに狐海道東の交差点を北にまっすぐ進むと柳街道です。柳海道をはここから清洲宿、小牧宿を経て中山道に行くことができます。
佐屋街道は、あま市に入ります。あま市は海部郡だった七宝町(しっぽうちょう)、美和町、甚目寺町(じもくじちょう)が合併してできた市です。
有名戦国武将も豊臣秀次、蜂須賀小六(正勝)、福島正則らの出身地で、前田利家の妻・まつ(芳春院)も現在のあまし出身といわれています。
七宝焼原産地の道標。あま市の一部である七宝町はかつて七宝焼が有名でした。
下田橋に架かる歩道橋をよく見てみると弓掛橋とあります。
言い伝えでは源義経がここから矢を放ち、百町(約10km)飛んで、落ちたところを百町矢塚と名付けたとか。ちなみにそこは津島市です。
そして着いた津島市。津島神社で有名ですね。
攻略ポイントと感想
今回のコースを電車で歩くなら、名古屋市営地下鉄・岩塚駅で降りて名鉄津島駅まで歩くのが便利です。
私の感想ですが、佐屋街道は難所みたいな場所もなく、歩きやすい街道ウォークだと思います。
しかし万場宿もそうですが、もう少し本陣跡や脇本陣、問屋場の石碑とか看板があると楽しめますね。
宿場の雰囲気は色濃く残っているだけに、表示物がもっとあれば楽しさも増えると思いました。